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『尼僧ヨアンナ』 旅の友・シネマ編 (20) 

2018-09-15 15:47:55 | 旅の友・シネマ編



『尼僧ヨアンナ』 Mother Joanna Of The Angles (波)
1960年制作、1962年公開 配給:東和=ATG モノクロ
監督 イエジー・カワレロヴィッチ
脚本 イエジー・カワレロヴィッチ、タデウシュ・コンヴィツキ
撮影 イエジー・ウォイチック
"音楽  アダム・ワラチニュスキー"
原作 ヤロスワフ・イワシキエウィッチ 「天使たちの教母ヨアンナ」
主演 ヨアンナ … ルチーナ・ウィンニッカ
    スリン神父 … ミエチスワフ・ウォイト
    マルゴザータ … アンナ・チェピエレフスカ
    リンダ … セニア・ヴァルデーリ
    マックス … アルド・グロッティ



十七世紀の北部ポーランドの寒村の尼僧院。院長のヨアンナは人々の信頼を集めていたが、そのヨアンナが悪魔に支配
されて、尼僧院の修道尼たちにも次々と悪魔が乗り移る。魔法使いの教区司祭ガルニエツ神父が夜ごとにヨアンナの寝室に
侵入したためにヨアンナに悪魔が乗り移ったという噂が流れ、ガルニエツ神父は悪魔と断定されて火刑に処せられ一件落着
と思われた。しかし、そんな悪魔祓いにもかかわらずヨアンナや尼僧たちは情欲のままにふるまっている。そのため大司教は
スリン神父を尼僧院に悪魔祓いとして派遣、事態の収拾を図ろうとした。僧院に着いたスリン神父はヨアンナに、二人で心を
こめて神に祈れば悪魔は必ず離れるとヨアンナに説いた。しかし、突然ヨアンナの形相が変わり、不気味な笑いと共に淫らな
言葉を吐き出した。彼女の悪魔を目のあたりに見たスリンは、悩みに悩んだすえヨアンナの悪魔を自ら引き受ける事でしか
彼女を解放できないと思い込み、遂には彼女と一体になり、愛してしまったヨアンナを聖者するために、罪のない従者と宿屋の
下男を殺してしまう。やがてスリンも火刑に処せられるであろう。ヨアンナの静かに流す涙と共に尼僧院の鐘が鳴りわたる。



アンジェイ・ワイダと共にポーランド映画のカードル派指導者であるイエジー・カワレロヴィッチの代表的傑作です。
原作は、17世紀のフランスの史料に記録されている事件に基づいてポーランドの作家ヤロスワフ・イワシキエウィッチが
1942年に発表した短編小説なのですが、映画では舞台はポーランド北方に置き換えられています。



この映画が製作された当時、ポーランドといえば、戦争中はドイツに占領され戦後はスターリン主義の抑圧を受けて人々の
心が二重三重に屈折した複雑な社会でした。その中で、人間が閉ざされた環境で自然な欲求を抑圧されたらどうなるのか、
か弱き人間はどう生きるのかというテーマのもとに、抑圧を強いられている弱者への同情を政治的、思想的な寓意として
この作品は制作されていますので、これらの社会的背景はこの映画を繙く重要な要素となっています。
誠実な尼僧の安らかな微笑みが瞬時に神を冒涜して淫らな言葉を吐くという欲望のすざましさにより抑圧され鬱折した
人間の性を見事に投影しており、悪魔に対峙する神父の勝利を望めない戦いはあまりにも悲惨で、これも圧政に屈折した
苦悩の表れでもありましょう。



この作品は何よりも映像の美しさが素晴らしく、モノクロームならではの陰影の見事さ、構図の確かさが全編に溢れていて、
特に修道尼たちが一斉に地面に倒れ込む俯瞰撮影は息をのむほどの美しさでした。
ポーランド・カードル派といえば、モノクロによる映像美、構図そしてカメラワークに他を寄せ付けぬ格調の高さを誇って
いるのですが、中でもこの『尼僧ヨアンナ』はそのすべてにおいてズバ抜けていました。



この作品は1962年にスタートしたATG (日本アートシアターギルド) による記念すべき第一回配給作品でした。
ATG の設立によって商業的には成り立たない良質の芸術映画を堪能することができるようになったのです。
ATG系列は神戸では『阪急文化』で上映されることになります。私も『尼僧ヨアンナ』に圧倒されて即座に会員になりました。
ATGはその後『野いちご』『第七の封印』『去年マリエンバートで』『かくも長き不在』『ビリディアナ』『8 1/2』『気狂いピエロ』
などの優れた非商業的作品を配給しています。
私がATGの神戸における拠点であるACKG(アートシネマ神戸グループ)でATGのお手伝いをするきっかけはこれらの優れた
作品群に感動覚えたことにほかなりません。
そのアートシネマ神戸グループ(ACKG)も会を重ねるごとに映画への思い入れが熱くなり、やがて自主上映の話が持ち上がり、
1966年7月1日(土)に第一回の自主上映会を開催する運びとなりました。プログラムは『尼僧ヨアンナ』と『シシリーの黒い霧』の
二本立てで、私が『尼僧ヨアンナ』に強いこだわりを持つのはこのためなのかもしれません。

映画芸術がその存在を激しく訴えていた時期でした。