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『赤い砂漠』 旅の友・シネマ編 (19) 

2018-09-09 18:34:19 | 旅の友・シネマ編



『赤い砂漠』 Il Deserto Rosso (伊)
1964年制作、1965年公開 配給:東和 カラー
監督 ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本 ミケランジェロ・アントニオーニ、トニーノ・グエッラ
撮影 カルロ・ディ・パルマ
音楽 ジョヴァンニ・フスコ
主演 ジュリアーナ … モニカ・ヴィッティ
    コラド … リチャード・ハリス
    ウーゴ … カルロ・キオネッティ
    リンダ … セニア・ヴァルデーリ
    マックス … アルド・グロッティ
主題歌 『赤い砂漠』 ( Il Deserto Rosso ) 演奏・ジョヴァンニ・フスコ楽団



ジュリアーナはイタリアの工業都市ラヴェンナの工場技師である夫のウーゴと息子のヴァレリオと生活をしている。彼女は
以前に交通事故のショックからノイローゼが癒えていない。ジュリア―ナは工場を訪れた時に夫から同僚のコラドを紹介
される。コラドは彼女の精神不安に同情を覚えた。数日後、ジュリア―ナは夫やコラドとそれに数人の友人と港に出かけ
無人の小屋で休息をとっていたが乱痴気騒ぎになる。やっとジュリア―ナに明るさが戻ったようにも見えたが、港に停泊
していた船に伝染病が発生と聞いて再び精神が異常をきたしはじめる。みんなは痛ましげに見守ることでしかできない。
それからほどなく、夫のウーゴが出張すると不安にかき立てられてコラドを求めるが、それで心が満たされるわけもなく、
かえって虚しくなり深い孤独に苛まれるだけであった。



愛の不毛を描き続けたアントニオーニの終結篇で彼が挑んだ実験的な色彩作品です。
交通事故でショックを受け軽いノイローゼに陥った人妻が感じる倦怠そして不安と孤独を、無機的な工場周辺の風景と、
断絶を表現する原色、倦怠感を醸し出す濁淡色など色彩映画の定石を覆す独自の手法によって表現、主人公の疎外感と
高度成長社会が人間の精神を蝕んでいる現代の狂気を描いています。
冒頭の無機質な工場群と林立する煙突から吹き上げる真っ赤な炎は荒んだ主人公の心の底を象徴させて、さらには
情事でも埋められない不安と孤独に苛まれ、絶望しながらも脱出を求めて苦闘する姿はアントニオーニの独壇場です。



また、主人公の心情を醸し出す不安定なカメラの焦点も実に絵画的であり、時折り画面を走り抜ける原色が心の揺れを
表現、しながら不確かで不鮮明な映像を引き締めています。
アントニオーニは『情事』や『太陽はひとりぼっち』において背後に広がる無機質で冷淡な風景を多用することによって
愛の不毛をモノクロ映像で表現、独自の映像芸術を確立させましたが、この『赤い砂漠』においても感情を色彩映像で
表現しており、孤立し漂流する現代人の不安と孤独や癒しきれぬ心を描き切っています。





主題歌の『赤い砂漠』はアントニオーニ監督の盟友ジョヴァンニ・フスコの作曲で、サウンド・トラックも彼の楽団による
ものです。珍しく軽快なサウンドで、映画では港の小屋での乱痴気騒ぎのシーンで使われていました。
作曲者のジョヴァンニ・フスコは、これまでのアントニオーニ作品『女ともだち』『さすらい』『情事』『太陽はひとりぼっち』
『赤い砂漠』などを担当したアントニオーニの盟友でしたが、この『赤い砂漠』を最後にコンビを解消しています。

『赤い砂漠』サウンドトラック 【YOUTUBE】より




念のため、重ねて申しておきますが、アントニオーニ作品は物語の起承転結を見せるものではなく、登場人物の心理を映像で
表現する知的リアリズム映画なので、筋書きのあるドラマだと決めつけて観ると意味不明な凡作にしか見えないでしょう。