goo blog サービス終了のお知らせ 

ちえぞー往生こいたでいかんわ!

ツイートもご覧ください。
https://twitter.com/owari_chiezo

北海道遠征(志苔館他)

2008年08月29日 | お城(北海道・東北)

4日目、起きたらさすプーさんが居なかった。早朝から函館朝市に出かけたようだ。昨晩、ラーメン屋の梯子で随分遅くに帰ってきたようなのに、あまりのタフさに唖然。

さすプーさんが帰ってきてからしっかり朝食をとり、宿でのんびりしてから出発。

湯倉神社チャシ  函館市湯川町2丁目
市電「湯の川」駅のすぐ北側にある湯倉神社がチャシ跡と伝えられている。湯倉神社はちょっとした高台にあるけど、チャシを見たことがないので、これがチャシと聞いてもよく分からない。神社も高台にあるけど、ここより北側の方が更に高いけどなぁ。

神社の下、東側に湯の川温泉発祥地の石碑もあった。

志苔館  函館市志海苔町
一番最後は良い所で締めくくろうと志苔館へ。館跡は整備されていて、とても見やすい。土塁や空堀がしっかりしており、二重の堀や虎口など見応えたっぷり。更に館内から海が見えるのでとても気持ちよい。


すっかりご満悦で、まだ早すぎるけど空港に向かうことにした。

帰りはさすプーさんのみ関空へ、私とともさんは中部空港へ。さすプーさんは3時間後の便だったので、その後も函館を楽しんだようだ。

私とともさんは時間に余裕があったので、空港内の土産屋でお菓子を試食して楽しんだ。幻の?「じゃがポックル」が空港内のお店で1軒だけ在庫があった。
このお菓子、何でそんなに手に入らないのかが良く分からない。ほとんどの土産屋に在庫がなく、あっても店頭に並べてないので店員に聞かないといけないことが多いようだ。食べてみたけど、特別何が美味しいのか私には良く分からなかったのだが、何かあるからそれだけ人気があるのだろう。

帰りの飛行機からは志苔館がハッキリ見えたものの、後は雲ばっかりで何も見えず。名古屋付近で名古屋城でも見えないか期待したが、私が乗った位置は逆方向で木曽三川が見えた。名古屋に着いた途端、暑い!函館では長袖をずっと手放せず、寒いよ~と言っていたのが嘘のよう。
空港に着いて、7月中旬から空港に出店しだした「矢場とん」に入ってご飯を食べた。すぐに座れてラッキー!名駅のエスカにある店でも、かなりな行列なのに。


わらじかつを食べるのは無理だなぁと思い、味噌カツ丼に。デラウマで大満足し、帰途に着いた。

沢山お城へも行けたし、観光もしたし、時間にゆとりもあって、と~っても楽しかった北海道遠征でした。

北海道遠征(嵐の函館山)

2008年08月28日 | お城(北海道・東北)

立待岬への道路は一方通行になっていて、行く途中には石川啄木の墓地があり、帰路は碧血碑の近くを通る。
さすプーさんはここから函館山砲台跡などを見るから、1時間後に千畳敷駐車場に迎えに来てとのこと。エッ?私も行きたい!と言ったものの、駆け足で見るというので、体力的に無理だから諦めた。
そこで、私は碧血碑を見に行く事に。ところが下がぬかるんでいるどころか、水溜りがひどくて靴がずぶぬれ。それにもめげずに何とか到着。
ここから箱館八幡宮へ下りていく道は綺麗だったのでそっちへ下りて行った。

その後、ともさんと津軽陣屋とすぐ北にある称名寺へ行った。

津軽陣屋  函館市弥生町

西小学校から西中学校にかけて一帯が陣屋跡だが、何もない。
称名寺は近代的な建物になってしまっていて情緒はないが、寺には宇須岸河野館の館主・河野政通の供養塔や高田屋嘉平の顕彰碑と一族の墓、土方歳三と新撰組隊士の供養塔などがある。

この後、函館山へさすプーさんを迎えに行ったのだが、ここから嵐になってしまった。雨だけでなく霧も出てきて、前が見にくい。さすプーさん、雨具を持たずに行ったけど大丈夫かなぁと心配する。待ち合わせの少し前に千畳敷駐車場に着いたものの、とにかくハンパな降りじゃなく、車から出た瞬間にびしょ濡れになるような強い雨。ちゃんとさすプーさん、ここまで来れるんだろうか?と心配しながら待っていたら、突然駆け足でやってきた。無事でよかったけど、全身ずぶぬれで着替えていた。こんな嵐の中、一応見たいところは見てきたそうだ。

その後、雨のためにすっかりテンションが下がり、赤レンガ倉庫群を見て、土産屋で買い物。


さっさと湯の川温泉の宿へ行き、温泉で寛いでから夕食にした。
この宿、安い割に食事もまぁまぁで、温泉もよかった。

さすプーさんは夜な夜な函館名物のラーメンを食べに行ったようだ。しかも2軒梯子したらしい。一体どういう胃をしているのか??

北海道遠征(立待岬台場)

2008年08月27日 | お城(北海道・東北)

どんよりした空模様だったので、海岸沿いを観光する気分にもなれず、函館市内へ戻ることにした。途中、トラピスチヌ修道院へ寄ってもらった。函館の主な観光地でここだけ行ったことがなかったのだ。


昼食は、ハセガワストアというコンビニ店でやきとり弁当を注文。
グルメ通のさすプーさんが函館名物ということでこれにしたのだが、安くて美味しかった。
やきとりと言ってる割には豚肉で、串刺しになっているのだけど、これは弁当箱の蓋を閉めて、蓋にある溝に串を合わせると、簡単に串が抜けるようになっているらしい。そんな事を全く知らない私は、普通に串から肉をはずして食べていたんだけど、さすプーさんは知ってて、こうやるんでっせ~とやり方を見せてくれた。

このハセガワストア、他にも安くて美味しそうなものが盛りだくさん。普通のコンビニ商品以外に、焼きたてパンや焼きそば、弁当類があり、ゆできび(ゆでとうもろこし)があまりに美味しそうだったので、3人とも食べた。

お腹もいっぱいになり満足した所で立待岬へ。

立待岬台場  函館市住吉町立待岬
この日は雲っていて寒かった。さすプーさんと関空で会った時、荷物がめちゃ多いので何がそんなにあるんだろう?と聞いたら、ダウンジャケットまで持ってきたと聞いて、無駄な物が多すぎと言った私だったが・・・
私は持参した長袖を羽織っていても寒さに耐え切れず、そのダウンジャケットをお借りした。これがとても役に立ち、ありがたかった。無駄だなんて言って申し訳ない<(_ _)>

立待岬というと歌のタイトルにあるぐらい有名なんだけど、ここが台場跡だ。立待岬の石碑がある横にある岬の説明板に台場があったことも書かれている。岬からの眺めが素晴らしく、観光で訪れようと思っていたので来れてよかった。


北海道遠征(厚沢部町・森町)

2008年08月26日 | お城(北海道・東北)

すっかり間が空いてしまいましたが、北海道遠征報告の続きです。

遠征3日目、起きたら大雨。仕方ないなぁと思っていたら、出発する頃には雨があがった。

館城  厚沢部町館
城跡は一部史跡公園として整備されてるものの、何となく全体としては農地といった感じ。だだっ広い農地に、土塁や空堀が少し残り、礎石や井戸跡の案内表示があるといった雰囲気で、道路の南側には怪しげな櫓があり、その奥にも土塁や空堀があった。

この後、産地直送のとうもろこしを買うために寄り道。ゴールドラッシュと何とかという2品種の違いを質問したら、それぞれ皮をむいて試食をどうぞ~とくれた。生で食べても甘くて美味しかった。
その後、大沼公園へ寄ったけど、曇っていて駒ヶ岳は見えず。

南部藩砂原陣屋  森町(砂原町)字砂原3丁目
陣屋跡は史跡公園として一部整備されており、土塁が取り巻いている。城郭大系には破壊されて何もないといったことが書かれていたので、これだけでもあれば十分と思った。

彦澗台場  森町(砂原町)字砂原5丁目
「ハマナス台場公園」になってるからすぐに場所が分かるかと思ったのに、間違って曲がってしまったため探しまくった。近くに居た人に聞いたら、地元民ではなかったらしいけど、地図を見て調べてくれ、教えてくれた。そのすぐ近くに、大きな馬が居てびっくり!農耕用の馬なのか?サラブレッドとか木曽馬とは比較にならないほど大きい。


ひとしきり、馬を見て楽しんでから台場公園へ。公園は国道沿いだったから、曲がらなければ簡単に行けたのだった。

綺麗な公園だけど遺構は全くなく、公園に説明板があった。海難慰霊碑がある付近が中心部だったようで、展望用の櫓から海を見渡せて気持ちよかった。

北海道遠征(江差町)

2008年08月08日 | お城(北海道・東北)

次は江差町の観光&台場めぐりをした。

役所上台場  江差町本町
「旧檜山爾志郡役所」の道路を隔てた西側付近が台場跡だ。でも何もない。「旧檜山爾志郡役所」の建物を見たかったので、台場はまぁいいかといった気分。それに加え、旧檜山爾志郡役所に土方歳三嘆きの松があり、良い所へ来たような気分になれた。

役所下台場  江差町本町
旧中村家住宅付近が台場跡か?ここも中村家住宅を見ようと思っていたので、一石二鳥?

ここから鴎島の手前にある開陽丸へ。見学は17時までだが、着いたのが17時ちょっと過ぎ。丁度管理人が鍵をかけていた。中の見学はできなかったが、外から写真とりまくり。

開陽丸はオランダで建造された木造の機帆走軍艦で徳川幕府最強の軍艦といわれた。徳川慶喜が鳥羽・伏見の戦いに敗れ大阪から品川へ開陽丸で脱出したのは1867年1月のこと。同年11月に榎本武揚は開陽丸を奪って蝦夷へ。蝦夷共和国樹立を目指したが、江差で暴風に遭い座礁し、10日後に沈没した。
面白いのは、開陽丸の艦首に三つ葉葵の紋を付けるよう注文したら、三つ葉のクローバーだったこと。平成2年、実物大で開陽丸は復元され、昭和50年から始まった引き揚げ作業で発掘された遺物を展示している。


外に、スクリューシャフト、カノン砲、ダルグレン砲、キャプスタインなども展示されている。


ここから鴎島へ。

瓶子岩が見える。


弁天島西台場  江差町鴎島
鴎島の地図を見ていたら、徳川幕府砲台跡と書いてあったので訪れる前から行く気満々。島の手前の案内板にも徳川幕府砲台跡と書いてあり、かなり期待も持って行った。
島へ渡ると灯台があるのだけど、何故か土塁で囲まれている。


城でもないのに立派な土塁に囲まれた様子を見て、楽しくなってきた。そこから更に先端へ進む。すると台場跡付近には、V字型の土塁があり、東側にも土塁に囲まれた空間があった。見知らぬ人の像とかもある。何だこれは?戦時中のものかな?と思うが、土塁があるので楽しい。
結局台場そのものの遺構は既に何も無いみたいだったのだが、意味不明の土塁を沢山見られて楽しかった。

弁天島南台場  江差町鴎島
鴎島の南西にも砲台跡があるので、今度はそっちへ。遊歩道を南西へ進むと、途中弁慶の足跡なんてものがあった。義経や弁慶は蝦夷地まで来ている伝説があるのが面白い。
西端へ行くと東屋があった。この西側下付近が台場跡と思われるが、藪だし、急斜面で危険だったので下りる事ができなかった。

この他に、江差の町を散策して2日目終了。江差の温泉に入り、にしん小屋に泊まった。にしん小屋というと天狗党を思い出し、凍死とか極悪な環境をイメージしちゃうが、泊まったにしん小屋はとても快適だった。

北海道遠征(上ノ国町)

2008年08月07日 | お城(北海道・東北)

松前町から江差方面へ北上して、上ノ国町のお城を回った。

比石館  上ノ国町石崎
日本海へ突き出している岬が館跡で、岬へと曲がる角に碑がある。ここからダート道だ。この曲がり角に警備員さんがみえて、何かイベントでもあるのか?岬には沢山車が入っているとのことだった。ダート道にびびったのと、駐車スペースがあるか心配になり、遠景を眺めるのみとした。

勝山館  上ノ国町勝山
「勝山館跡ガイダンス施設」の手前に勝山館搦手の案内があり、それに従うと館跡だ。しかし、城跡は高い方にあるという鉄則から、さすプーさんはその案内を無視し、反対の高台へ向かって歩き出した。墳墓群はあるけど館跡は?ともさんはあの山が館跡では?と夷王山を指すが、そこではないのは調べてきてるので違うよ~という私。
でも、どこか良く分からず、山中を歩いていたら、突然、整備された空間が目の前に広がった。ここが館跡だ。

勝山館は史跡公園として復元整備されており、搦手の方が大手より高い位置にあり、先程のガイダンス施設から近いから、搦手の案内があったのだと納得。搦手門の手前に堀があり、館内は礎石等が綺麗に復元整備され、分かりやすく案内板もあちこちにある。大手に向かって下りの傾斜となり、海も見渡せてとても気持ちいい。大手の下から見上げると、柵や堀がとてもカッコいい。夏場でもこれだけ見られれば十分だ。井戸方面へ行ける道があったので、最後にそっちへ行った。ゴミ捨て場やら墓群があり、その先の下の方に井戸や樋跡があった。

館跡も見やすくていいし、海を見渡せて気持ちいいし、


夷王山を望む景色も素晴らしく、ここはオススメです。


花沢館  上ノ国町勝山172-1、173
勝山館と同じ国指定史跡なのに、こっちは藪だらけだった。登城口に碑があり、ここから登っていく道が既に藪。説明板がある郭の上が主郭のようだけど、ここも一面の藪。とてもじゃないが歩き回る気がしなかった。おかげで遺構がしっかり確認できなかったので、あまり良く分からなかった。

洲崎館  上ノ国町北村
砂館神社が館跡で、神社入口に説明板がある。また、神社本殿の裏手に空堀があり、本殿に向かって右手には土塁もあるのだけど、かなりな藪で空堀にも下りれないし、土塁を歩く気にもなれず。

更に北上した。

北海道遠征(松前城他)

2008年08月06日 | お城(北海道・東北)

次の目的地は松前城だったのだが、ちょっと寄り道しては訪城数を稼ぐ私。

穏内館  福島町館崎
国道228号沿い「吉岡支所」に碑があるのみ。

白神台場  松前町白神
白神岬で景色を楽しんでいたら、

道路反対側の高台に白神灯台があった。この付近が台場跡のようだけど、遺構はない。

松前城  松前町松城
ここで100名城のうち99城達成。残りの根室チャシ群は今の所大して興味がない(というか遠くて時間もお金もかかるので、それなら他の城を見たい!という気持ちが強い)ので、ひとまずこの99城で打ち止めでいいや~って気分。

松城公園が城跡で、復興天守、本丸表御殿玄関、本丸御門などがある。搦手門付近も復元整備されており、南側の第一・第二台場跡やその東側の枡形馬出跡も見応え有り。内堀越しから見る復興天守は美しく、一通り堪能して松前藩屋敷を見に行く事にした。


屋敷跡が随分残っているのかと期待していったら、なんとテーマパークでがっくり。道理で、あちこちに松前藩屋敷の案内板があったのか。


テーマパークなんて入る気もせず、さっさと引き返す事に。松前藩主の墓所が近くにあるのでそこへ寄り、周辺をグルグル回っていたら、外堀跡などの表示があちこちにあり、城域の雰囲気が分かってきた。

ここから松前大館へ~

松前大館  松前町神明、福山
松城公園東側から北上するとボタン園などがあり、この東側が館跡となるのでこちらから入れるないかも行ってみたけど、谷があってこちら側からは無理。反対側からなら入れるのかなぁ?と思い、徳山大神宮から西側の山へ入る道を探したけど分からなかった。かなり藪で、神社から直登も無理で断念!どうも、徳山大神宮の手前付近に登城口があったらしい。
ここは道路地図にも載っていたので簡単に行けるかと思い下調べせずにきたのがいけなかった。ちょっとショック。
神社には、ゴローウニン幽囚の地という説明板があり、これが見れたのでまぁいいかと思うことにした。

更に江差方面へ北上しながら、道中の碑だけとかの城へ寄った。

折戸浜砲台  松前町建石
国道228号「松前消防署」から50m程江差方面へと北上した左手にパーキングがあり、ここに字がほとんど消えて見えなくなった碑があるのみ。

原口館  松前町神山
原口漁港から100m程北側の高台が館跡で、周辺は草原というか、藪になっていて、道路脇に字が消えてほとんど何も見えない碑(こんなんばっかだなぁ。雪で時が消えちゃうのだろうか?ちゃんと石に彫った碑を建てて欲しいものだ)と、かつては説明書きが入っていただろう枠のみが残っていた。

北海道遠征(北斗市)

2008年08月05日 | お城(北海道・東北)

湯の川温泉の宿は安い割りにそこそこ良く、朝食のバイキングは種類も豊富で朝からモリモリ食べてしまった。
2日目の最初は松前藩戸切地陣屋へ。

松前藩戸切地陣屋  北斗市(上磯町)野崎
陣屋跡に着いた瞬間の感想は、こんなだだっ広い駐車場があるなんてサスガ北海道!だった。

この陣屋跡は今回の遠征で一番のお気に入りになった。夏でも見やすく整備されているし、土塁や空堀がしっかりしている。更に素晴らしいのが砲台跡。それ以外にも大手や搦手には城門も復元され、内部には礎石や井戸跡、案内表示も行き届いている。
もうあまりの素晴らしさに、朝露で靴が濡れたどころか、靴下もしみわたり、足がぐちゃぐちゃで気持ち悪くなったにも関わらず、そんなことお構いなしで歩き回っちゃいました。道南へ行ったら、ここは是非立ち寄るべし!

ここから見る砲台が戦艦みたいでカッコいいとさすプーさんが気に入っていた。確かに戦艦みたいでいい感じだ。


矢不来台場  北斗市(上磯町)矢不来
道路沿いに説明板と碑があり、この上が台場跡だ。

登り口が分からず、北海道に来ても藪コギ&直登した。上がると土塁や虎口が見えてきて、土塁の外側には空堀もあった。見ていると館のように見えたのだけど、藪がひどくて全体の様子が全く掴めず。歩いても歩いても一面藪だらけ。あまりよく分からないまま、下山した。すると道があることが分かり、どこにつながってるんだろうと思ったら、最初に見た説明板と碑のすぐ脇に出た。登城口に碑があったのかー、全く気付かずに直登しちゃったと、自分の習性?に驚いた。
この台場跡の下にトンネルが掘られ、高速道路が通る予定のようだ。近くに矢不来館もあるようだけど、場所が分からず断念。

茂別館  北斗市(上磯町)矢不来131-1ほか
「矢不来天満宮」が館跡で、神社の麓入口に碑と説明板がある。神社境内には土塁が残り、その背後に空堀が残っている部分もあるが、空堀は道路で壊されている所もあった。
この城は大館と小館から成っているようで、この神社部分は大館。小館へも行こうとしたら、あまりの藪に入れなかった。

北海道遠征(函館市内)

2008年08月04日 | お城(北海道・東北)

今日、山本昌が200勝を達成し、感激のあまり涙していました。
昌は、アメリカ留学する前からのファンで(当時はただ単にミーハーで、スタイルが好みだったし、顔が童顔で可愛かったから)、帰国後、本当に一回りも二回りも<体が>でっかくなってたのには驚いたものです。ハンバーガーであれだけ大きくなったとよく言ってたけど、全く期待されたなかったのに、急遽帰国してその年のリーグ優勝に貢献してくれたことが凄く嬉しかったなぁ。
あれが1988年だから、もう20年も前のことかと思うとびっくり。よくナゴヤ球場へ足を運んで応援したものです。
まだ、日本シリーズでの勝ち星がないので、次は日本シリーズで投げて勝って欲しいなぁ。(その前に、ドラゴンズが日本シリーズに出られるのがいつになるかが問題なんだけど・・・)

さて、北海道遠征報告の続きです。五稜郭の後、函館市内の遺構なしの城へ幾つか行った。

千代ヶ岡陣屋  函館市中島町、千代台町
中島小学校周辺が陣屋跡で、中島小学校の北東にある陸上競技場の南西隅に説明板がある。探せば土塁があるのかなぁ?

一本木台場  函館市若松町
総合福祉センターの東側に若松緑地という公園があり、この南側に土方歳三最期の地の石碑がある。碑の横に一本木関門という冠木門が復元されているけど、台場跡はここから西側の国道5号付近にあったようだ。
一本木関門から箱館市中へ切り込んだのが土方の最期といわれており、供花が絶えないようで、土方人気が伺われる。台場よりこの土方の碑を見たくて私も寄った。


宇須岸河野館  函館市弥生町
以前は市立函館病院があったようだけど、病院移転のため公園になり、その公園の南東隅に説明板がある。
遺構はないが、ココは是非立ち寄るべき館跡だ。というのも、この館は箱館という地名の発祥だから。この河野館を遠くから見ると箱に似ていた所から「箱館」と呼ばれるようになったとのことで、近くの称名寺に館主河野氏の供養塔もあった。

弁天台場  函館市入舟町
市電「函館ドック前」駅から北へ200m程行くと函館ドックに突き当たるが、この前に碑がある。まだ新しかったので碑を立て直したみたい。この付近が台場の中心部だったようだ。また、函館ドック前駅のすぐ南にある公園には説明板がある。

ここから駐車場に車を停め、函館の町を少し散策した。旧函館区公会堂、ハリストス正教会、石畳や港を見下ろす坂など、なかなか良い所だ。


20代の頃、長い夏休みを利用してフェリーで北海道に入り、1週間以上道内を観光したことがあるのだけど、函館は坂が多くて歩き疲れた思い出がある。丁度、8月初めで函館港まつりをやっていて、夜は街中を踊りながら練り歩いたものだ。函館港まつりはめちゃくちゃ楽しく、「いか踊り」が今でも忘れられない。
「函館名物イカ踊り イカ刺し 塩辛 イカソーメン もう一つおまけにイカポッポ
イカイカイカイカイカ踊り ×4」

8月最初の土日が函館港まつりだと思うけど、是非ともいか踊りは一度は堪能してもらいたいものだ。

南部陣屋  函館市元町
函館山で夜景を見る前に、陣屋へ。函館山ロープウェイ乗り場となる「山麓駅」の西側に観光者用駐車場があるのだけど、そこが陣屋跡です。駐車場の東側に石垣があり、そこに碑や説明板もある。
石碑の前が草ボーボーで碑が隠れちゃっていたので、必死に草を足で踏みつけてから写真撮影した。

その後、函館の夜景を楽しみ、お寿司を堪能して、湯の川温泉に泊まった。

北海道遠征(権現台場と五稜郭)

2008年08月01日 | お城(北海道・東北)

四稜郭の次は五稜郭へ行きたい所なんだけど、その間にある権現台場へ立ち寄った。

権現台場  函館市神山3丁目
四稜郭から南へ約1kmのところにある。現在、台場跡は神山稲荷神社になっており、土塁が残っている。神社の入口には説明板もあり。

遺構としてはイマイチなんだけど、ここは五稜郭が完成した際、鬼門除けとして東照宮が建てられた場所で、箱館戦争の際は、五稜郭に立て籠もる旧幕府脱走軍が新政府軍に備え四稜郭を急造した時、五稜郭との重要な結節点にあたるため東照宮だったこの場所に砲台を設けた。更に、新政府軍に権現台場が占領されたため、四稜郭に居た旧幕府脱走軍は退路を断たれることを恐れ五稜郭へ撤退した。ということで、五稜郭と四稜郭に深く関係しているため、この権現台場は是非立ち寄って欲しい所だ。

五稜郭  函館市五稜郭町
次は五稜郭公園へ。飛行機からしっかり見えたんだけど、着陸体制に入っててデジカメ使っちゃいけないってんでグッと我慢した。五稜郭はやはり高い位置から見た方がいい。ということで、まずは五稜郭タワーから見下ろす事に。以前のタワーと比べると、断然見やすくていい!!と大絶賛。でも写真だと全部がおさまりきらない。こういう時、広角だといいんだろうなぁ。



タワーでソフトクリームを食べてゆったり寛いだ後、五稜郭見学へ。搦手から入り大手へ向かったつもりなのに、函館奉行所庁舎が復元工事中なため、行き止まりになってしまった。大手へ行くには?と大回りしていたら、結構時間がかかってしまい、サッサと見終えたさすプーさんを随分と待たせてしまった。

北海道遠征(四稜郭)

2008年07月31日 | お城(北海道・東北)

函館空港に着いて、すぐに予約していたレンタカーを借り、まずは四稜郭へ。函館市内の北から順番に回ることにした。

四稜郭  函館市陣川町
城好きになるまで、四稜郭なんてのがあることを知らなかった。知った時から是非とも見たい!と思っていたので、長年の夢がかなって嬉しい限り。

四稜郭は道路の要所に案内が出ていたのですんなり行けた。案外有名なのかも?
ちゃんと史跡公園として整備されており、入口に説明板があった。土塁へ上りたいのをぐっと堪えて虎口へ進む。虎口近くに石碑があるんだけど、何とも撮りづらい位置にあり、何で虎口の正面に置かなかったんだ~と誰かがブツブツ言っていた。
この虎口からしてかなり見応えあり。

手頃な大きさなので、四稜郭全体の形が見渡せるのが良い。五稜郭は大きすぎるからタワーとかの高い位置からじゃないと形が掴めないんだけど、四稜郭は土塁からで十分に分かる。ただし、写真に収めるにはやはり高い位置じゃないと無理だなぁ。
周囲に堀がちゃんとあるのもいいし、四隅の砲座も素晴らしい。
ぐるりと一周して、十分楽しんで次の城へ向かった。


北海道遠征(函館夜景)

2008年07月30日 | お城(北海道・東北)

函館入りした日の夜は、函館山から夜景を見ました。函館へ来るたびに夜景を見ていますが、毎回天気が良くて、素晴らしい夜景を堪能しています。

19:00  まだ日が暮れきっていないです。


19:08  日が沈む時、空が少し赤くなりました。


19:15  日はすっかり暮れ、周囲の人たちも夜景を楽しむ雰囲気になってきました。


19:20  バッチリ夜景が綺麗です。スゴイ人だったけど、写真を撮りながら楽しむ私。


19:32  最前列でカメラを固定して、色んなモードで撮ってみたけど。。。


19:35  どのモードで撮ると、どう写ったか覚えていない。


すっかり満喫したので、下山して食事へ~
グルメはさすプーさんにお任せってことで、函太郎という回転寿司に入りました。
特にイカが美味しかった☆人気ナンバー1なのが頷けます。サーモンも大好きで食べたけど、これは人気ナンバー2のようです。

北海道遠征(関空と空の旅)

2008年07月29日 | お城(北海道・東北)

7月の巡城組活動は北海道遠征!道南のお城巡りをしてきましたが、大して移動しなかったので、4日間で約30城も回った上に、観光もしっかりしてきました。今回は、ともさん、さすらいのプー太郎さん、ちえぞーの3人で活動です。

北海道へは函館へ飛行機で入ったのですが、中部国際空港から函館へは1日2便しかなく、旅割は既に満席で取れなかったので、仕方なく関空から飛ぶことに。さすプーさんが関空からの方が便利が良いので、一緒に函館入りできるからまぁいいかと。

ともさんと私は朝から電車で関空へ向かった。国内線だから約1時間前に着けば十分と思って出かけたのに、途中で電車が停まってしまった。初めは大して気にも留めずに居たが、10分経っても全く動かないし、車内アナウンスもない。どうしたんだろう?事故でも発生したのなら間に合わないなぁ・・・と心配しだす。結局20分停車して、やっと動き出した。動き出して間もなく、「堺市と三国ヶ丘の間の踏切故障のため、遅れましてご迷惑をおかけしています」というアナウンスが。そういう情報は停車中から入れて欲しいものだ。結局25分遅れで関空到着。取り合えず間に合って良かった。

慌しく空港でチェックインして、保安検査場を通って、飛行機へ。私とさすプーさんは運良く前方の窓際席だったので、下界の景色を楽しんだ。

離陸して少ししたら神戸空港が見えた。


川や高速はとても分かりやすい。更に5分程で琵琶湖が見えてきた。


琵琶湖が見えるってことは、近くにお城が沢山あるってことジャン!と思い、必死に城を探し出した。彦根城はとても分かり良い。


この後、敦賀までは良く見えたんだけど、そこから先は雲で見えなくなってしまった。中部空港からだったら見れなかった景色が見れたので、関空から飛んだ甲斐があったかも?

桑折西山城

2006年05月12日 | お城(北海道・東北)

福島遠征で一番不思議というか変わったお城だなぁと思ったのが、桑折(こおり)西山城。私には理解不能すぎて?感想欄に「超絶賛」マークを入れてしまった。

このお城、標高200m程の山頂が城跡なのだけど、車で上れるのが楽チンで素晴らしい!(ただ、私は歩いて登ってしまったけど)しかも、山の上でも車で移動できちゃうのだ。この山、果樹園にしている部分があるため、結構あちこち道路がある。といっても、どこも未舗装なんだけど。でも、凹凸がそれ程ないので、ノーマルタイヤでも大丈夫!この城は、本丸部分と、西側の沢を隔てた山にある中館・西館に分かれており、それらの行き来も車でできちゃうので、車で来るとかなり楽である。そんな事知らない私は、ゼイゼイ言いながら歩き回る羽目になった。

ところで、何が不思議かって。。。それは西側の山にある中館・西館である。一体どうしたんだ?というぐらいに石塁があるのだ。最初見てびっくりしちゃった。だってこの石塁、城壁みたいなんだもん。一瞬、沖縄の城壁を思い出しちゃいました。何でこんな所に城壁が必要だったんだ?と疑問に思うと同時に、枡形虎口の下にも、ビッシリとした高めの石垣があった。それも、切岸と垂直方面に。それが1ヵ所じゃなく、2ヵ所もあるし。かと思えば、曲輪の真ん中付近にも突然石塁がある。もう意味不明。訳が分からなかったけど楽しめました。途中、蛇に会わなければもっと幸せだっただろうに・・・

このお城、中館付近から本丸が見え、なかなか気持ちいい。物理的に広いと、自分の心も広く大らかになれるようだ。本丸の南側には戊辰戦争の際、仙台藩が築いた砲台場跡も見られる。丸岡藩砲台と同じように、土塁が 凹凹凹 こんな形?になっていた。

規模といい、遺構の残り具合といい、国指定史跡だけあって主要所はそこそこ整備もされていたので、オフ会するのにもってこいの城だなぁと思った。でも、こんな遠くじゃ当然参加なんて無理なんだけどね。それにしても、一口にお城といっても、色んなつくりのお城があって、それがまた楽しかったりするからお城巡りはやめられません。(^.^)

八潮見城探検隊

2006年05月11日 | お城(北海道・東北)

福島遠征3日目に少し触れたけど、「八潮見城」には本当に天晴れだった。何せ、地元民にすら浸透してるんだから。

上遠野城(八潮見城)の登り口を地元の方に尋ねたら、八幡神社からがいいと教えてくださったのだが(他のルートからも教えてくださったけど、ここからが一番楽と教えてくださったので、尋ねた年配の方2人も最近登ったことがあるらしい)の、その際に、八潮見城探検隊というのを聞いた。小学校に城址碑を立て、お城の整備や登山道の草刈などをしているという。隊長が近くのガソリンスタンド(泉商店)に勤めているので、会いに行くと歓迎してくれるだろうし、資料も貰えるよと教えてくださった。早速ガソリンスタンドへ行ってみたものの、隊長は不在でお会いできず残念!

諦めて八幡神社から登ったのだが、登り口に城跡への案内が出ていたし、道の途中に矢印案内があるから迷わない。道も本当に草が綺麗に刈られていたし、堀切に橋も架けられていた。城跡のあちこちに説明板もあり、お城を訪れた人がわかりやすいようになっている。

全部この探検隊がやって下さっているとの事で、案内板などはお金もかかるだろうにどうしてるんだろう?と思ったり、材料や道具などを山へ持ち運ぶのも大変だろうなぁ。材料は現地調達したとしても、道具もあれこれ必要だろうし。。。と本当に探検隊にびっくりするやら、尊敬するやら。

こんな活動をして地元のお城を大切にして下さっている姿勢にも嬉しく思ったし、私のような他地域の者でも、安心してお城巡りできることに感謝、感謝です。地元の方たちにまで知られているこの探検隊、これからも素晴らしい活動を続けていって地元に愛されるお城、地元の方が何度も足を運ぶお城が定着し続けるようお祈りしています。