岩切城は、県民の森の南側にあります。
住所:仙台市宮城野区岩切入山
県民の森を南北に縦断している道路沿いに石碑や説明板があり、そこが登城口で、駐車も可能です。
ところが、この城は震災の影響で現在立入禁止です。
しかも、県民の森を縦断している道路も、この岩切城の登城口までで通行止め。
ここから北へ通り抜けることが出来ません。
城内には重機が入っていて、崩落箇所などを整備工事しているようです。
平成25年3月まで立入禁止のようですので、注意してください。
登城口
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/tohoku/miyagi/iwakiri.html
公園に入ると、めちゃくちゃ広く、土壇があります。
これが天守台か?と思うも、あまり城といった雰囲気を感じない。
図面を見て結構期待していたのに、ガッカリ・・・
と思ったら、本丸はココじゃないとヤブレンジャーの方が叫んだ。
エッ?そうなの??と思ってブラブラしていたら、「本丸→」の表示が。
ここは三の丸でした。
案内に従い、尾根を南へ進むと二の丸・本丸がありましたが、二の丸は通路以外酷い藪。
この木橋は、本丸と二の丸の間の堀切に架かっています。
堀切も藪ですが、横から見るとかなりな規模です。
本丸は整備されていました。
このお城の見所は、この本丸周辺の急峻な切岸と、本丸から南にある堀切。
特に、この岩盤堀切が圧巻!
藪で確認しなかった遺構もあるので、夏以外に訪れたら、もっとこの城の良さが分かることでしょう。
7月の海の日を含めた3連休で、ヤブレンジャーの方々と宮城遠征へ行った際、初日に訪れました。
鶴丸城は、栗原市栗駒岩ケ崎裏山にあります。
城は、館山公園の中にあり、夏でもそこそこ見られるのですが、藪が酷くて入れない曲輪も沢山ありました。
おかげで、その曲輪の先にある堀切もパスしてしまったので、ほかの季節に再訪してみたいものです。
主郭南東の堀切
堀切もこんな状態で、堀切の向こう側へ行く気にならず未確認。
でも、更に南東へ進むと、ビックリ仰天!
畝状竪堀がありました。
しかも、こんなにハッキリくっきり見られます。
夏にこれが見られれば十分ですね。
宮城のお城を回っていたら、東日本大震災によって被災したお城が幾つかありました。
写真では分かりにくいかもしれませんが、模擬天守のあちこちが崩れていました。
もちろん立入禁止。
とても、修復できるようなレベルには見えなかったので、取り壊すことになるのではないでしょうか?
崩落箇所があり、高石垣がかなりはらんでいました。
角田城の移築城門がある角田市郷土資料館へ行ったら、移築城門に隣接する旧氏家邸が工事中でした。
仙台の岩切城も崩落箇所があるとのことで立入禁止。
2013年3月まで工事予定とのことです。
福島県ですが・・・
梁川城の本丸跡となる梁川小学校は校舎が崩れて立入禁止。
桝形の所には、何か置かれています。
この間の3連休は、ヤブレンジャーの夏合宿に同行させていただき、宮城のお城を中心に回りました。
3日間で、36城も回り、十分過ぎます。
14日:姫松館、真坂館、町田館、鶴丸城、黒岩館、沢辺城、宮野城、新城館、鶴城、涌谷城、彫堂七館、千石城、上野館
15日:岩切城、利府城、桑折城、千貫森城、折口館、大衡城、築館城、花楯城、大窪城、松森城、若林城
16日:白石城、伊達政宗陣城、船岡城、角田城、矢ノ目館、柴小屋館、金山城、丸山城、梁川城、大枝城、住吉館、阿津賀志山防塁
16日の梁川城以降の4城は福島県ですね。
私は登城口で待ってる城が5城もあったのですが、ヤブレンジャーの方々は藪を掻き分け入って行っていました。
さすがです。
今年1月に訪れて大感動した姫松館は、藪と雨のため半分は歩き回れず残念。
また、公園になっている所をできるだけ選んだにも関わらず、藪で撤退もありました。
ヤブレンジャーの方々が藪で撤退するのを初めて見たような気がします。
一体どんなにスゴイ藪なのか・・・
鶴丸城、千石城は城域が広く、藪の所も多かったので、もっとしっかり見たいなぁと思いました。
夏以外に再訪したいものです。
なお、岩切城は、震災の影響で現在立入禁止です。
今年度中は工事をしているようなので、来年4月以降に訪れると良いかと思います。
また、白石城の天守も震災の影響で工事中です。
シートがすっぽり覆っているため、全く絵になりません。
まだ写真の取り込みもできていないので、またボチボチ報告したいと思います。
(と言いながら、G.W.の広島遠征の報告もままならずですが・・・)
姫松館の続きです。
二重竪堀を2つ続けて見た後、そのまま尾根を更に東へ進むと、今度は向きを変えて南北に長い竪土塁がありました。
(竪土塁を上から見たところ)
この外側(東)は竪堀になっており、
(竪堀を下から見たところ)
この竪土塁と竪堀がある東側は酷い藪ですが、更に尾根を東へ進むと土塁を持った郭があるようです。
今度は、竪土塁を下っていくと、待ち受けていたのは畝状竪堀でした。
南斜面には竪堀が幾つもあり、段郭を下っていくと道路に出ました。
こっちからも城跡に入れるようです。
道理で、散歩している人を4人程見かけたのですが、こっちから出入りしていたのですね。
それにしても、こうやって地元の方が散歩コースにしているのは良いことですね。
整備されていて歩きやすいからでしょうか。
これでメインの尾根を歩いたので、引き返して尾根の北側を見に行きました。
東館の北東付近の竪堀
更に北尾根へズンズン下りていくと、随分先に堀切があります。
また、東館や中館、西館の北側には横堀があり、
更に一段下にも横堀があったりします。
その下段にも竪堀があったりと、とにかく見所盛り沢山。
要するに、西館と中館の南側は急な断崖になっているため手を加えていないのですが、他の尾根にはかなりしっかりした遺構があります。
超オススメのお城ですので、わざわざ足を伸ばしてでも是非訪れてみてください。
このお城を見るためだけに訪れる価値アリです。
姫松館は、宮城県栗原市一迫真坂寺東にあります。
今回、宮城へ行くならこのお城へ寄りたいと思っていました。
城跡は姫松館森林公園として整備されており、かなり広いお城なのに随分と草刈りが行き届いていて見やすいです。
変に手を入れすぎておらず、これぐらいの整備が丁度良いと思いました。
龍雲寺付近にお城への案内があり、城跡(西館の西直下)まで車で行くことができます。
西館の北東側には土塁があり、そこに神社が鎮座しています。
また、この北側には横堀が巡っています。
西館から東へ進むと・・・
見た瞬間、驚きの声をあげてしまいました。
二重堀切(竪堀)のこの土の様子がスゴイです。
更に歩いていくと、横堀もしっかり。
中館北側の横堀
中館はL字形をしており、北と西に土塁があります。
また、南端には断崖の松の標柱があります。
落城の際、千代姫が松傘に掴まって断崖を飛び降り逃げ延びたとの伝説があるようです。松は残念ながら枯れてしまいました。
北側斜面を見ると横堀や竪堀が見えるのですが、後から見ることにして、とりあえず尾根上を突き進むことにしました。
中館の東にある東館。
更に尾根を東へ進むと、またまた二重竪堀
そして、そのまた東にも二重竪堀
あまりのスゴさに仰天しまくり。続く・・・
阿津賀志山防塁を見た後、近くの桑折西山城へ行きました。
住所:桑折町万正寺本丸
以前訪れた時、郭の土塁がしっかりしている上に石塁もあり、更に立派な横堀もあって随分と堪能したので、また見たいと思ったのですが・・・
行ってみたら、一面の雪。
大手門跡
この奥に砲台跡があったのですが、雪が積もってサッパリ分かりません。
でも、せっかくココまで来たのだからと上を目指したら・・・
主郭だと思い込んでいたのですが、中館でした。
土塁は分かるものの、石塁は雪に覆われて見えません。
そのお隣の西館も同様。
横堀はハッキリ分かります。
長靴を用意してこなかったので、靴が濡れてしまうと嫌だなぁと思い、ここまでで撤退。
ほかの季節に訪れたいものです。
東北3日目は、お城めぐりをしました。
阿津賀志山防塁は福島県伊達郡国見町大木戸にあります。
東北自動車道「国見インター」で下り、国道4号を北上していると、道路沿い左手に大きな看板(下写真)が出ているのですぐに分かります。
この看板脇から少し上がると、驚くほど長大な防塁があります。
文治5年(1189)、奥州平泉の藤原氏が源頼朝の軍勢を迎え撃つべく、この地に築いた防塁といわれています。
本来は二重堀だったようですが、この辺りは一重です。
更に登ってみたら、JR東北本線の北側は二重になっていました。
上から見るとこんな感じ。
かなりスゴイ!!
吉田城から大森城へと移動中、突然、ウモレンジャー&ワカレンジャーのご両人が同時に、「城だ!」と叫ぶのでビックリ!
移動中は寝てばかりの私は周囲をキョロキョロ。
お二人曰く、お城の看板があったらしい。
そこで車をUターンさせてみると、確かにありました。
「八柏城」
といっても、八柏農村公園にお城の説明板があるのみで、遺構はなし。
それにしてもよく見つけるなぁ。
説明板は通り沿いとは垂直向きにあるのに・・・と、ただただ感心するのみでした。

そして、もともと行く予定だった大森城へ。
現在、大森公園になっていて、駐車場に説明板がありますが、遺構なし。

その後、八反田城へ。
主郭がグランドになってしまい、元々どういうお城だったのかが分からない。
ただ、残っている土塁はかなり立派。

この後、湯沢インターから南下して山形県へ入り、新庄城、長瀞城、東根城を見たのでした。
そこで、気付いたこと。
秋田県にはセブンイレブンがない。そして、ローソンが多い。
山形県に入ったらセブンイレブンがあったのだけれど、山形市内ではまた見なくなってしまった。
そんなこと、どうでもいいか?
更に横手市内のお城へ。
大鳥井柵は大鳥公園にあります。
駐車場にある看板を見て、大鳥井山へ。
十三塚という塚を見ながら登っていくと堀切発見!
でも、遺構はこれしか見当らず。
山頂は大鳥井山神社が鎮座しており、

あとは普通の山林といった感じ。
発掘調査をした際は、二重の横堀や竪堀もあったようですが、今では全部埋め戻されてしまっています。
小吉山の方は行かなかったのですが、こっちは何か遺構が見られるのかなぁ?
次は横手城へ。

ここはササっと見て、吉田城へ。
『廃城をゆく』にも載っています。
単郭の平城ですが、土塁と横堀が良く残っています。

私は再訪だと話したら、何で先回横手まで来た時に、メジャーな金沢城へ行かず、マイナーな吉田城へ行ったの?と不思議がられてしまいました。
確かに、今思えばそうだよなぁ。
お城を見終わり、すぐ横の西法寺に出てきたら、丁度お寺の住職さんとお会いしました。
今から納骨ということで時間がないにも関わらず、四隅が井桁状になっている話などをしました。
更に、このお寺の鐘楼はとても大きく、秋田で3本の指に入るので、行く年来る年の時には除夜の鐘を撞きに来てくださいといわれました。
ということで、年末にこの近くにいらしたら、鐘をつきに行ってみてください。
金沢城は、「後三年の役」で清原家衡が本拠としたものの、源義家・清原清衡軍に攻められ落城したお城です。
結構上まで車で行けるラクラクなお城で、二郭は金沢八幡宮になっています。
二郭の北には堀切を隔てて北郭があります。
二郭と北郭の間の堀切

二郭の東にも堀切があり、その先は兵糧倉、主郭と続きます。
このお城の見所は、主郭の東側。
藪で見難いですが連続竪堀があり、東尾根には距離を置きながら堀切が4本。
南東尾根にはコブ状の5連続堀切まであります。

また、駐車場から南西にある西郭は細長く、堀切の先は武者溜で、先端は断崖絶壁でした。とても下りられない。
このお城、中世にも使われたようなので、中世の遺構かなぁ?と思ったのですが、後三年の役の頃の遺構なのでしょうか?
久しぶりに、秋田遠征の続きです。
払田柵の後、すぐ近くにある本堂城へ行きました。
このお城、平城なのですが周囲が田んぼなので、土塁の盛り上がりで遠くからでも分かります。
曲輪内は畑になっていますが、その周囲の堀が良く残っています。

また、東・西・南の三方には虎口があり、門跡の標柱が立っています。
西門跡のところには説明板もあります。
北東側には土塁が残り、大木の前には何故かナマハゲ人形があります。

払田柵と同様、夏でも十分楽しめるお城なので、この付近に行ったら、セットで回ることをオススメします。
そこから次の城へと移動中、地名から六郷城が近いのでは?と車内で話題になり、急遽六郷城へ寄ることにしました。
佐竹義重はこの六郷城で没したようです。
でも、どこにあるのか下調べしていないのでよく分からず。
携帯で検索したら、お城は神社になっているらしい。
それらしき地名付近で、田んぼの中に神社があったので、あれか?とあぜ道に突っ込んだら、道が狭かった上に路肩が弱く、タイヤが落ちてしまいました。
板を入れてみても、全然動かず。
結局、JAFを呼ぶことに。
待っている間、ひとまずその田んぼの中の神社がお城か確認しに行きました。
でも、違った・・・
JAFは到着するまでに40分位かかるらしい。
太陽が思いっきり降り注ぐ中、力仕事では私は何の役にも立たないので、車が救出されたらすぐにお城へ行けるように、六郷城を探しに行きました。
適当にブラブラ歩いていたら、発見!
田んぼになっているけれども、内堀の雰囲気は分かります。
しかも、場所によっては水が溜まっている。

本丸は神社でした。

他にも、本丸の向かい側には説明板が、「六郷サテライト」という競輪の場外売場駐車場には外濠跡の標柱もあります。
一通り見て車へ戻ったら、丁度JAFが来て作業を始めるところでした。
JAFを呼んだのは初めてだったのですが、テキパキと親切に作業をしてくれ、あっという間に車は救出されかなり感心しました。
1.5時間程のロスタイムとなってしまったけれども、それでもこの日10城も回ったのでした。スゴイ!