にこにこ堂「ちえまる本舗!」

編み編み大好きなハマのおばはん。闘病の日々ですが、明るい気持ちで頑張っています!!負けないぞ!!

あの世の夢

2005-01-31 | 脳幹出血
呼吸が苦しくてたまらなかった時に見た夢だそうです。
主人は船に乗っていて、茅ヶ崎の岸壁に停泊し、皆降りていくのに一人取り残され、歩けないのでそのままじっとしていました。甲板から下を見ると、たくさんの透明の棺おけがズラッと並び、中には生きている人が入っていたそうです。恐ろしくなって船頭さんに「降りれないんだけど」とたずねると、「あんたの名前は名簿に載っていないからだ」と言ったのです。
そしてそのまままた船が出発して病院へ戻ってきてしまいました。
この同じ夢を四回繰り返して見たそうです。
後でびっくりしたのですが、ICUで生死の間を彷徨っていた間、四回大きな山があったのでした。
本当に船から下りていたら今頃はもういなかったんですね・・・でも、最後に見たときに主人の名前が名簿に載っていたそうです。

一つ目の大きな山を越えたよ!

2005-01-31 | 脳幹出血
倒れてから容態はほとんど変わらず、危険な状態が続いていました。それでもなんとか二日過ぎ、きゅうちゃんは見事に頑張り通したのです。
しかし、呼吸器系統をやられてしまったので、少しでも呼吸が楽になるよう、すぐにのどの切開手術を受けました。後になって本人から聞いた話によると、それまで苦しくてたまらなかった呼吸が、切開をしたことによって、瞬時に死ぬ苦しみから解放されたそうです。
毎日毎日病院へ行き、しつこいくらい看護師さんをつかまえては容態を聞きだし、何かしら回復の兆し(きざ)があれば飛び上がって喜び、取り敢えずその日一日は明るい気持ちで過ごすことができました。
まさに一喜一憂の日々でした。そして、私にとっても毎日が戦いそのものだったのです。
担当の先生も、
「本当に生命力のある人だ!今まで、この病気で助かった人を私は知らない・・・」
と信じられないような表情で、びっくりしていらっしゃいました。
ところが、喜んでいたのもほんのつかの間。
翌日、再び先生からお話があり、その内容を聞いた瞬間、またまた一気に崖から突き落とされました。
「今の時点では小康状態を保っていますが、これからが一番危険な状態なのです。脳浮腫((のうふしゅ)といって、出血した血液が脳に吸収される時に、脳が腫れるのです。これを乗り越えられれば、まず第一段階はクリアできたことになります。でも、まだまだこれからいくつもの危険なハードルを乗り越えなければなりませんよ。たとえ回復しても寝たきり状態で、物を飲み込めなくなる可能性があるので、胃に穴を開け、そこから栄養を入れる形になるでしょう。よくなったとしても、経管栄養ですね。」超ショックでした・・・。
でも、そのあと私はすぐに思いました。
「それでもいい!生きてさえいてくれれば、私も一緒に頑張れる!!」
それから一週間経ちましたが、脳浮腫の影響もなく、見事に乗り切ったのです。もう嬉しくて嬉しくて、毎日病院へ通うのが楽しみになりました。介護ヘルパーの仕事も毎日頑張って通い、その行き帰りには必ず様子を見に病院へ通ったのです。
それから主人は先生や看護師さん、ヘルパーさんの献身的な看護のお陰で、日に日に回復していきました。

本当によく頑張ったね!ありがとう!!私も頑張るから安心してね!!

奇跡が起こった!!

2005-01-30 | 脳幹出血
私は一気に奈落の底へ落とされました。体中の力が抜けて床につっぷし、どのくらいの間号泣していたでしょうか・・・持ってきた携帯も、ブルブル手が震えてすぐに落としてしまって自分でも何をしているのか全くわからなくなっていました。
看護師さんが心配して「お水を飲みなさい」と紙コップを持ってきてくださいましたが、それも落としてしまい、ますます頭が真っ白になりました。
しかし、彼のお母さんやお姉さんには知らせないといけないので、震える手で、何とか携帯から名前を探し、先生に知らせていただいたのです。
後で聞いた話ですが、その時先生も声がうわずっていたそうです。それから主人はとりあえずICUに運ばれ、処置を受けていました。一時間くらい経った頃でしょうか、彼のお母さんたちが到着し、後で知らせた友人達、姪っ子夫婦、私の母も脳外科の待合室に到着。倒れた時の様子や主治医からの話などを聞かれ、たどたどしく説明するのですが、自分でも何を言っているのかわからない状態だったと思います。
そのうち主治医がICUから出てこられ、こうおっしゃったのです。
「今ね、ご主人の手が動きました、とてもいい動きなので希望を捨てずにがんばりますので、奥さんも頑張って!!」しかし絶望のどん底に突き落とされた私は、ただ泣きじゃくるだけでした。とにかく、「あと二時間で呼吸が停止する」という言葉だけが体中を駆け巡っているのです。とても聞き入れる余裕などありませんでした。
その日は病院からの連絡待ちということで、母に抱えられて実家へ帰りました。電話が鳴るたびに心臓が飛び出るくらい驚き、一睡もできませんでした。ところが、その晩主人はなんとか持ち越したのです!信じられない!あと二時間どころか、二日も頑張りとおして生きていてくれている!!
主治医も驚き、「まだ大きな山はたくさんあるが、こんなに生命力の強い人を今まで診たことが無い・・・」とおっしゃっていました。

奈落の底へ・・・

2005-01-29 | 脳幹出血
やっと救急車が到着し、救急隊の人達がのたうちまわって苦しんでいる主人に何度も呼びかけていました。しかし、意識があるか念入りに確かめたり、何度も症状を尋ねられたりでなかなか運び出してくれません。
(早く病院へつれてってよ!!こんなに苦しんでいるじゃないですか!!)私はイライラしながらそう叫びたいのをぐっと堪えていました。
やっとのことで担架に乗せて部屋から救急車へ搬送し、ホッとしたのもつかの間・・・
今度は血圧を測ったり心電図をとり、搬送先の病院の手配。このときの血圧は、なんと上が250でした。そして足の先がピクピク大きく痙攣し、酸素マスクをつけて救急隊の人もだいぶ深刻そうに急ぎだしたのです。
私はとにかく病院へ到着するまで、主人の両手を握り締め、必死で神様に(どうか主人を助けてください。命だけは助けて!!)と祈り続けていました。後から後から涙が溢れ出し、恐ろしくてとても怖かったのを覚えています。
わけもわからないまま、何処かの病院へ到着し、処置室へ入ったのですが、一時間近く何の音沙汰もありませんでした。いろいろ検査をしているのだろうか・・・
(大丈夫だよ、きっと疲れて倒れただけで、またすぐに元気になるさ、)
ふと時計を見るともう二時をまわっていました。その後すぐに看護師さんに呼ばれ、処置室へ入りました。薄暗く、寒々とした部屋でした。
そして、いよいよ担当の先生から診断結果を聞かされたのです。
「まことに言いづらいのですが、『脳幹』といって脳のど真ん中が大出血していました。とても危険で手術が出来ないのです。残念ですが、おそらくあと二時間で呼吸が止まります。早く親戚に連絡をとってください。」


倒れた時の事(T_T)

2005-01-27 | 脳幹出血
その日は、朝から物凄い風が吹いていて、空は一面灰色で、ただ不気味な風の吹き荒れる恐ろしい音だけが響き渡っていました。主人とはまだ籍は入っていませんでしたが、いずれはキチンとしようと話し合っていました。気楽な同棲生活です。
たまたま主人も私も仕事が休みで、遅い朝食を摂り、主人はじっと新聞に目を落としていました。時間があれば隅から隅までしっかりと記事を読む人なので、その間は私も自分の好きな事をしたりして過ごすのが日常でした。
しかし、その日は違っていたのです。一見、新聞を読んでいるかのように見えましたが、よく見ると、それは「読んでいる」のではなく、ぼ~っと「見つめているだけ」だったのです。しかも、なんと!置かれていた新聞はさかさまではありませんか・・・(@_@;)一瞬ぞっとしました。
日頃の疲れだろうと、別段気にもとめませんでしたが、今考えると、そのときはすでに具合が悪かったのでしょう。結構喋る人なのに口数も少なく、話しかけてもただ笑っているだけで、声らしきものを聞かなかったように思います。
そして、昼過ぎに突然主人の友人が尋ねてきました。いつも何だかんだゴルフの話などをしながら二人で楽しく会話をする場面なのですが、この時も友人だけが一方的に話し、主人はただニコニコしながら相槌を打っているだけでした。これはさすがの私も気にかかり、嫌な予感がしていたのです。
友人が帰り、主人は大好きなパソコンゲームを始めました。始めると平気で数時間は続けているのに、ものの数分でやめて座布団の上に坐っていました。肩こりが酷いので自分で肩を揉み始めたので、「どれ、揉んであげるよ」と、彼の後ろにまわり、両手を肩にかけた瞬間でした!!
「頭が痛いよ~~~!!!」と、身体から搾り出すような声で呻き出し、前のめりに倒れこんだのです!!
えっ!!頭が痛い?! 見るとその苦しみ方は普通ではなく、のた打ち回り、身体中が震えだして口からは泡のような白いものが流れ出てきました。これは「脳かもしれない!!」と、転げるようにして電話の前に走り、必死で119番通報したのでした。呂律がまわらず、まともに救急隊の質問に答えられず、おまけに両膝もガクガクして自分でも何をしていいのかわかりませんでしたが、とにかく保険証と取り敢えずのお金、携帯だけはやっとのことで用意し、戸締りと火の始末をすませました。(こんな時でも結構しっかりしていたんだと、ちょっと自分を見直したりして・・・)(笑)
救急車を待っている間、なんとか意識が遠のかないようにひたすら主人の身体を(揺さぶらないように)叩き、名前を呼び続けたのです。
「大丈夫だよ!!すぐに救急車が来るから、頑張って!!大丈夫だからね!!」
全身の痙攣が始まり、顔をくしゃくしゃにしながらもぎこちなく「わかったよ」という表情をしてくれたように見えたので、両手を強く握り締めていました。
心の中で「早く来て主人を助けてください!!早く来て!!」と祈り続け、家の外へ出たり入ったりしてなかなか到着しない救急車を待ち続けていました。
この時、人生で一番長い長い時間に思われました。

現在の介護生活

2005-01-26 | 脳幹出血

今日から、ついにブログを始めました!何だかわくわくしちゃってます(*^_^*)。1999年、6月24日。一生忘れられない日となりました。その頃、まだ同棲中だった主人が自宅で突然倒れ、救急車で運ばれました。病名は「脳幹出血」。あと二時間で呼吸が止まると宣告されたのです。私は一気に絶望のどん底へ突き落とされました。しかし奇跡が起きたのです!日に日に回復し続けて大きな山場を4度も乗り越え、三ヵ月後には厚木のリハビリ病院へ転院することが出来たのです。そして翌年の一月に退院し、いよいよ私の介護生活が始まりました。右半身麻痺は勿論のこと、後遺症が驚くほどたくさんあり、一時はどっか遠くの方へ逃げてしまいたい気持ちにかられましたが、なにくそっ!!と奮起し、何とか今日までたくさんの方々に支えられながらも頑張って来れました。そんな波乱万丈なこの五年間を振り返りながら、少しずつ綴って行きたいと思っています。少しでも多くの人に見てもらえたらいいな!特に同じ様に自宅で家族を介護している方に見ていただきたいと思っています。

左上のカレンダー日付をクリックしてください。倒れてから、リハビリ病院へ転院するまでのことが順を追って詳しく記されています。
何かの参考にしていただけたら幸いです。