惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

4月30日(月)のつぶやき その1

2012年05月01日 | miscellaneous
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いまの常識で考えたら、いったい何で今頃になって「この役割を自治体も担うことになり」なのか、当地のワカモノでさえすんなりとは理解できないくらいのところがあるんじゃないかという気がするよ

00:06 from web
今で言やあれだぜ、震災と津波で壊滅的な被害を受けた地域で、当の自治体がずっと被害者住民に対して(表向きはさておき実質では)半ば知らん顔し続けたというようなものなんだからな

00:11 from web
まあそんだけ貧乏県で、やろうたってたいして何もできなかったはずだという意味では当時の政府の意識から大差がなかったということだ。その点では確かにわが国の社会はずいぶん変わったんだ

00:18 from web
変わったんだけど、変わってみたら生憎にも日本はふたたび最貧国への道をひた走っていて、そうすると不思議なものだというか、でかい面したがる自治体首長とかがまた出てくるんだ。どことは言わないがな。そんなものひとつ残らず整理しちまえって、理念的にだけ言えばそう言うしかないさ

02:58 from web
酔っ払って居眠りしていた

03:06 from web
「新うつ」の件で書きもらしたことがひとつ。いや「新うつ」ではなく「千円ポッキリ」の方か。ここ15年くらいの間にわが国で蔓延するようになった(のではないかと思える)驚くべき倒錯的認識とは「学校は勉強するところで、勉強は学校でするもの」だと教師以外の人間が思うようになったということだ

03:15 from web
「コンプラ」がその傾向を致命的に強化したというのは確かだが、しかし強化したのであってそれが作り出したとは言えない気がする。前はそう思っていたのだが、そうすると「コンプラ」なんか関係ないはずの学生や生徒もそうだというのは説明がつかない

03:29 from web
そうした傾向の端緒をたどると15年どころではなくもっと前からじわじわあったという感じはしてくる。最初に「何だこれは」と感じたのは25年くらい前だったか、つまり好景気がバブルになり始めた頃だということになる

03:32 from web
部分的には「エコ」みたいなテロリズムとつながるところもあるのだが、たぶん同じものではない、というのも「エコ」の方はさらにその10年前からあったものだからだ

03:35 from web
つまり「エコ」らしきものの気配がするようになったのはローマクラブの「成長の限界」という報告書が出た後くらいからだ

03:39 from web
そうした流れと「コンプラ」みたいなものはどうしたって直接に結びつくとか、根が同じものだとは言えないだろう

04:02 from web
これを書いているのはその端緒らしきもののエピソードの記憶があるからだが、具体的なことがほとんど抜け落ちているので文字にして書けない(下手に書くと特定の人物にいわれなき非難を向けるような格好になってしまう)

04:03 from web
それをうまく思い出せたらいいと思って時々調べてみようとするのだが、今のところ成功していない

14:49 from web
連休前から時々考えてはいたのだが、調べるのからして面倒くさい気がして実際に手をつけていなかった(今もまだその気にはなっていない)ネタのひとつに「法とはなにか」というのがあった

14:52 from web
そんなのはおめえハートの「法の概念」でも読んどけ、と言われそうな話だが、それを読んでも面白くなかったから(笑)いつか自前で考えてやろうと思っているわけである

14:55 from web
素人哲学だからアイデアはいつも通りいたって単純で「法という実体は存在しない」ということから始まるわけである

14:58 from web
じゃあ実際に存在して効力を持っているように見えるあれは何だといったら、非本質的なメモ書きみたいなものだということになる

15:00 from web
実際、どうでもいい非本質的なメモ書きにすぎないから、それが無駄に積み重なって六法全書のようなクソぶ厚い本になったり、さらにぶ厚い判例集のようなものがそこに追加されても、誰も本気でそのことに文句はつけないわけである

15:02 from web
計算機のアプリケーション・ソフトのマニュアルだって、あんなものは誰も読まないと言いながら、キャリ・カートでもなければ持ち運びもできないようなクソぶ厚い紙束が山とついてくる時代があったわけである

15:04 from web
そう、法に実体などないというのは「マニュアルはソフトの本体ではない」というのといくぶん似たような意味でない、と言ってみたいわけである

15:08 from web
じゃあ法の場合に真に実質のあるものは何なのだと言ったら、わたしの考えでは政治的調整ではないだろうかということになる

15:10 from web
毎度おんなじような調整を手間暇かけてやるのはめんどくさいから法というメモ書きを作って、だいたいこれに沿ってやっとけということにしたのである、というか、そうではなかろうかと

15:15 from web
そう考えない限り、たとえば立小便したら罰金いくらとか、そういうのの金額の根拠などというのは、もともとそんなものあるわけないのを説明できないのではないだろうか

15:18 from web
根拠などないというのはつまり政治的調整、つまり競合する利害の調整ということが本質的に出たとこ勝負で、こうしておけば競合は発生しないというような枠組みなど存在しないということとパラレルだという風に考えられる

15:21 from web
計算機屋のことで言えば、どんな上手に作ったシステムでも運用上デッドロックが絶対に生じないと証明することは、一般に不可能だというのと同じことである

by celsius220 on Twitter
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