惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

8月6日(火)のつぶやき その4

2013年08月07日 | miscellaneous

考えてみたらfv氏はわたしより5歳かそこら年上の世代である。自分のことを棚に上げていうと、この世代に属する人で吉本の読者だったとか、ましてや『「反核」異論』をちゃんと読んでしまった(笑)人というのは、わたしは過去には見たことがない


たいてい読んでないか、読んでいても「昔の読者」ばかりだから、その後「吉本・埴谷論争」が勃発した時も、多くの人は「わけがわからないよ」という顔をしたのである


ことの起こりは、ある意味で吉本が「おそらく埴谷さんも自分ではいいほうに修正したと思ってやってるというところが投身自殺だと思うんです」と、鮎川信夫との対談で口走った(この対談は『「反核」異論』にも収録されている)ところに、たぶんあったのである


鮎川でさえ半ば忘れていて、最後の対談で「そうそう、もとは『「反核」異論』なんだよ」なんて言っていたりする(笑)


埴谷雄高という人のことは『死霊』も含めて何も知らなかったから、いっぺん読んでみるかなあ、と思ったりしないでもなかったのだが、埴谷雄高については同世代に島田雅彦というとんでもない読者というか、ほとんど埴谷オタな人がいたのである(笑)あんなのに敵うわけないだろ、で読まなかった


ただどうも当時の「サヨク」の人々の隣接領域では埴谷雄高という人は知られていたらしく(まあ左翼なんだから当たり前か)、原律子のマンガの中にさえ「埴輪雄高」という名の登場人物が出てきたりしていた


1980-84の5年間くらいの日本、というか東京は、何かそんな風に、どこから何が飛び出てくるかわからない、思いもかけないものが古い過去につながっていたり、もしかしてこんなものが未来だったりするのかと錯覚させられたりするような、そういう異様な地域と時間帯ではあった


当時はまだわたしの視界には入らなかったが、後から眺めてみるとたぶん、後にオウム真理教と自称することになる連中もまたその中のどこかにはいたはずである


それがもう30年前のことである。自分の現在に直接かかわっている部分は(自分ひとりにとって)別だとしても、全体としては改めて語るに値することは、さすがに何も残っていないような気がする


わかりやすく言えば、いまのワカモノがたとえば「1985年以前に日本はなかった」という妄想に取りつかれることがあったとしても、たぶんそのワカモノは生きて行くのにとりたてて困ることなど何もないだろう


米無人機、イエメンでアルカイダのメンバー4人を殺害(CNN) cnn.co.jp/world/35035624…


@musitit どうもどこかに体験の不連続点みたいなのがありそうですね。物書きやってた頃に周囲で吉本を知ってる人は『共同幻想論』の世代の人ばかりでした。で、そういう人はだいたい、口では言わなくても「『「反核」異論』以後はちょっと・・・」という顔をしていました


でもやっぱりいるところにはいたんだな・・・もうちょっと真面目にお仲間を探せばよかったかなww


吉本の読者というのは、俺もそうだが、よかれあしかれ「孤立上等」なところがあるというか「たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから」などと芯から思ってる人が多いからなw


@hiroco2003 そらどう見ても無関係な人の前でオタ話を始めりゃ何だって相手にされなくなるわな。だからしないかと言ったらそれは別だよな


【話題の画像】高専の卒アルwwwwwww pic.twitter.com/KpFxRv3w2I

celsius220さんがリツイート | 900 RT

オーバーラン 新潟空港で原因調査(NHKニュース) nhk.jp/N48p5hVU 「タイヤの痕などから、機体は少なくとも60メートルはオーバーランしたと考えられる」「聞き取り調査の中では、機体が着陸する際のスピードや滑走路への進入角度に問題は確認されていない」


@musitit うーん・・・オウムに関してはそうかもしれない。あのときの小浜逸郎の怒鳴られっぷりを思い起こすにつけても。でも『「反核」異論』からすでに事態は始まっていたのか、確かに福島第一の事故以後の言動を見る限りではそう考えざるを得ないのだけどな


小浜逸郎はひょっとしたらほんとのバカ正直で吉本に「なんで麻原を評価するのか」と率直に尋ねて、なんか尋ねただけで怒鳴られまくっていたんだよな


ああもうこれは読者全員怒鳴られてんのと一緒だなと俺だって思ったくらいで(笑)


しかしそのくらい判りにくい怒鳴り方でもあった。ひょっとすると普通の読者からは見えないところで相当わけの判んないことが起きているのかなと想像したりもした。編集者・寺田博と絶縁したときみたいに


吉本の方からは「この人はこのくらいは読んでいてくれるのだろう」と思っていたような人達が、存外全然なんにも読んでない、ただ調子合わせていただけだというようなことに、そこで初めて気づかされて逆上したとか、何かそんな背景でも考えてみないことには、あれはちょっと理解に苦しむ怒鳴り方だった


それは俺が出戻り学生のころだったから、これはいかん、何か考え直さないと、などと思いながら橋爪大三郎センセイの「宗教社会学」を聴講したりしたものだった。今もってそうだけど、俺は理科系の朴念仁で、宗教についてはどうしようもないくらい素朴な考えしか持ってない


そんな調子じゃいいとこレーニンの『唯物論と経験批判論』くらいにしかならないぜ、そのソ連は暴虐の果てについこないだ崩壊したんだぜ、と、別にそう言われたわけでもないが言われているような気はした


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