惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

8月6日(火)のつぶやき その3

2013年08月07日 | miscellaneous

【悲報】ケンタッキーフライドチキン、1億3900万円の営業赤字(暇人速報) himasoku.com/archives/51795… 「俺ケンタで働いてるけど正直ファミチキのほうが美味い」「ローソンのLチキで充分。安いし」 ── つまりはこういうことか


コメ欄には「もうケンタすら気軽に食えない程収入が下がってんだよ・・・」という意見も出ていた。消費税上がったらケンタも撤退か


人工肉開発者に捧ぐ:成型肉の作り方 ── molding meat:
part1 youtu.be/du_4q4GH6h4
part2 youtu.be/JZpRJdF-gKo


つくば市の特養ホームで女性職員(23)刺される 殺人未遂容疑で「元カレ」同僚(32)逮捕(朝日新聞) t.asahi.com/c0sn


特養ホームみたいな仕事場においてさえ男女は殺し合わなければならないのか


一人のクリエーターによる視点からの宮崎駿監督「風立ちぬ」感想(やや最果てのブログ) d.hatena.ne.jp/sunagi/2013080… これは・・・「美しければすべてよし」と言いたいわけか


”その文章は「美」である。荷風は日本語を駆使して美しい文章を書いた人の最後のひとりである。おお、私は彼を少年のころから今に至るまで読んで、恍惚としないことがない。些々たるウソのごときケチのごとき、美しければすべては許されるのである。” 山本夏彦「美しければすべてよし」


山本夏彦は嘘も誤りも書いていない。この通りである。俺などはこの「些々たるウソのごときケチのごとき、美しければすべては許されるのである」という末尾の文句は暗唱して覚えている。けれど、この文句を改めて確認するために宮崎駿がアニメ映画を一本作ったのだとは、あまり考えたくないことである


吉本隆明が、戦後お前は何をしてたと問われるなら、子どもを二人育てたという以上のことはなにもない、と言ってた(正確な引用ではないけど)。

celsius220さんがリツイート | 5 RT

2日前にfv氏がこう呟いているのを見て、そう言えば「正確には」何と言ってたんだっけ、というのが気になって少し探していた


実のところ吉本はこれに類したことを何度となく語っていて、fv氏の「正確な引用でない」というこれは、何度もなされた発言の共通部分だけ括り出すとこうなるというものだ


で、探した結果、やっとふたつ見つかった


”これは僕自身が駄目だということもあるんですが、僕はものを書いて、ときにそれを売って生活の糧にしているけれども、しかし子どもを育てる以上のことはしていないな、ということですね→


→逆にそれだけ熱心にやったのかと言われると、そんなことはないので、まあ、ひとりでに育ったというほうがいいのでして、何も特別なことをしてきたわけじゃないんです→


→でも価値観で言えば、俺は表現とかなんとかいろいろ言っているけれど、子どもを育てる以上のことはしてないなといつも思っていました”
(吉本隆明・北山修『こころから言葉へ』)


”わたしはじぶんが子どもをもち、子どもを育て、その成長の過程を見つめながら、昨日も今日も明日も平坦に生活をすごしてゆくという境涯にいることが、まだどこかで不思議で仕方がないような思いをしてきた→


またもう一方では、じぶんは子どもをもち、さり気なく育ててゆくというより以上の仕事は、なにもできなかったし、これからもできないのではないかとしばしばかんがえたほど、子どもということに、重要さをおいてかんがえた”
(「手塚治虫(論)」『情況としての画像』『追悼私記』)


いま探して見つかったのがこのふたつだということで、実際にはもっと何度も、またこれらより以前にも(「手塚治虫論」が1989年である)同じことを語っている。fv氏の呟きにある「戦後お前は」という文字はいま挙げたふたつの中にはないが、そういうのも確かあったはずである


そう言えば検索の途上でfv氏の日記にこんなくだりがあるのを一緒に見つけた ── ”吉本はこの本(「反核」異論)の後書きで、本当に書きたい本はこれだけだと言っていた。他は、糊口のためと言い切った” d.hatena.ne.jp/finalvent/2006…


”わたしはじぶんの本がたくさん人々に読まれることを、それがわたしを経済的に潤してくれるからという意味以上の意味で、願ったことは一度もない。だがこの本(「反核」異論)は別だ。「反核」集会に出かけた数十万といわれる人々には読んでもらいたいものだと願望している→


そんなことにはならずに少数の読者が手にされるということになるだろうが”
(吉本隆明『「反核」異論』後註)


その昔わたしが『「反核」異論』を読んだとき、本の最後の方で吉本がこう書いているのに出くわして、何かものすごく異様なものを感じたことを覚えている。その時はまだ大学の講義をサボって部屋にヒキコモっている(笑)その真っ最中で、まだライターの仕事を始める前のことだった


ところで、さっきのfv氏の日記では、引用した部分の前に「ネットで知り合った年上の人から吉本の話もいろいろ聞いた」とあるのだが、


1983年の段階でPCを電話回線に繋いでtelecommunicationしていた(「パソコン通信」という言葉もまだなかった)人は、日本にはほとんどいなかったはずである。fv氏はその稀有なひとりだったのだろうか。いやそれ以上に、そこから情報を仕入れられるほど仲間がいたのだろうか?


もちろんいた可能性もある。当時のパソコン業界というのは本当に雑多な前歴の持ち主ばかりだったので、どこに何者が潜んでいるか知れないところがあったのは確かである


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 8月6日(火)のつぶやき その2 | TOP | 8月6日(火)のつぶやき その4 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | miscellaneous