惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

THN1-3-08c

2011年08月15日 | THN私訳
3-08 信念の原因(承前)

因果性が類似や近接と同じ影響をもつことは誰も疑うことができない。迷信深い人々は聖人や聖者の遺物を好む。その理由は彼らが型と像を求めるのと同じである。彼らの信仰心を活気づけ、彼らが欲する模範的な生活に対する思いをもっと親しく強いものにするためである。さて明らかに、熱信家の入手できる最良の遺物のひとつは聖人の手にした品(handywork)であろう。聖人の衣類や調度がそう見なされるのだとすれば、それは、これらの品が聖人の意のままになった(at his disposal)ものであるということ、つまり聖人によって動かされ、その影響を蒙ったものだからである。その点で、これらの品は(聖人の実在を証明するものとして)完璧とは言い難いものである一方、聖人が実在したことを示すもののうちで最も短い鎖によって聖人と結合されているものだと考えられるべきでる。この現象は、因果性の関係をもつ現在の印象があらゆる観念を活気づけること、したがって、先の定義によって信念や同意を生み出すものであることを、明瞭に証明するものである。

とはいえ、このあたりの(因果に基づく推理の)事例だけが目的にかなっているということはないだろうか。空想との間に関係や推移を伴う現在の印象があらゆる観念を活気づけることについての他の論証(証明)を探す必要があるのではないだろうか?我々はそうと信じるすべての事実についてその観念を持たなければならない。これは確かである。この観念は現在の印象との関係だけから起こる。これも確かである。信念は何物も観念に追加せず、観念を思うやり方を変えて、それを一層強く活気のあるものにするが、ただそれだけのものである。これもまた確かである。関係の影響に関して現在までに得られた結論は、以上のすべてからの直接的な帰結である。これらのことのひとつひとつは確実で誤りえないことだとわたしには思われる。ここまでで述べた心の作用は、現在の印象、活気づいた観念、それから空想におけるその印象と観念の関係や連合だけである。だから、疑問の余地はないのである。

(つづく)
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« FFF - PIL (Public Image Ltd.) | TOP | 善悪の旧盆 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | THN私訳