惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

高速哲学入門(41)

2011年01月02日 | 素人哲学の方法
分野は「政治哲学」だけど、あの講義の手法は様々な大学教育の現場で参考にすべき視点。ああいった講義ができるようにならなきゃならない、と強く感じます。しかし、こうした番組などTVで時々見たい時に、TVがないのはやや損しているか。普段はTVの必要性をほとんど感じない。
(eguchi_akira)

サンデル周りでこういう感想を呟いている人を結構たくさん見かけるわけだが、わたしが最初に大学生だったころ受講した吉田夏彦先生の講義は割とあんな調子に近かった記憶がある。たぶん理科系の大学で哲学史の講義なんかやったってしょうがないから、少しでも哲学的な考え方の実際──というか、普通に理科系の学生は全員そうであるような素朴実在論やミもフタもない機械論的思考にとどまらないものの考え方が存在して、それが決して空虚な屁理屈ではないということ──に触れてもらいたい、ということでああなっていたのではないかと今では思う。

そしてそれは今でもわが国ではそんなに簡単ではないはずだ。ハーバードの学生は曲がりなりにも「正義」という言葉や概念が空虚ではないと思っているような気が、わたしにはする。我々日本人の場合はまずその「正義」が空虚な紋切型でないこと、つまり単なる政治的茶番の言葉ではないことを、単なる偽善者の自己欺瞞としてではなく理解するまでが(教師の方にしてみれば理解してもらうまでが)大変なことではないかと思う。

なんたってわたしはこれを書いている今でもそう疑っている(笑)。ただ現在のはわたしは無駄にトシだけは食ってきたから、大なり小なり長いこと筋道立ててものを考えてきた人が言っていることは、自分の考えをさしあたり留保してでも聞く価値がある場合があるのを理解していて、その通りのことを実行することにそれほど不安を覚えなくなっているわけである。だがもっと若かったころ、ましてやハタチそこそこのころなどは、とうていそんな余裕ある態度は示せなかったことである。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高速哲学入門(40) | TOP | こゆゆこ »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 素人哲学の方法