惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

「セシウムさん」考

2011年08月05日 | げんなりしない倫理学へ
事件報道については下の方で記事や画像を引用しているので、それをご覧いただきたい。

このblogの記事では伏字にしているが、件のテロップには実在する土地と銘柄が書かれていたわけである。その産地の農家の人にしてみれば、朝っぱらから公然と愚弄されたようなものである。しかも地域の農産物が放射能汚染の風評被害を被りはしないか、それを最も懸念しているさ中に、露骨にそれそのもののようなテロップが、手違いとはいえ公の電波に乗って放送されてしまったわけである。これを非難するのは少なくとも心情的に当然のことである。放送局はそういう非難に対しては誠実に対応しなければならない。これも当然のことである。

とはいえ、わたしに言わせればこの件はそれだけのことである。それでは済まないし済まされないと言って息巻いている人があちこちにいるが、それは見立てを誤っていると思う。件のテロップは、その字面を眺めてみれば、これは小学生じみたイタズラにすぎないことが明白である。要はエンガチョつけみたいなもの、あるいは小学生がう×こネタで笑ったり笑わしたりするあれと同根の、幼稚な心性の発露にすぎないわけである。

そんなこと、大の大人がすることかといって、テロップの作者や放送局が顰蹙されるのは仕方のないことである。顰蹙されるようなことだから笑いが生じるのだし、そんなネタで人を笑わせようとする動機を、小学生というのは持つものであろう。わたしが言いたいのは「顰蹙は顰蹙以上であってはならない」ということである。テレスクリーンの視聴者や、わたしのようにそれを又聞きしただけのただの野次馬が大真面目に怒ったり、関係者の意識だの責任だのを追及しなければならないといったようなことは、このテロップの中には何も存在していないのである。そこで変に真面目になったら、もともとただのイタズラの手違いにすぎないものを、大真面目な意図を孕む何事かであると宣言してしまうことにもなりかねない。宣言型言語行為である。それはもともとなかった事態を創出することなのである。それは、それ自体が加害行為になりかねないことだと注意しておきたい。



ところで、twitterを眺めていると果たして「セシウムさんの萌えキャラ化が待たれる」とかなんとか呟いている人がいた。それもそうだと思ってあちこち検索してみたが、これを書いている時点ではまだそれらしいキャラ絵を描いた人はいないようだ。画像の右下にある変な形のオニギリみたいなキャラをアレンジして、それを「セシウムさん」と呼んでいる絵はあったが、萌えキャラとは言い難い。そもそもセシウムさんは元素であって米粒の集合体ではない。

(このパラグラフへの追記)「変な形のオニギリみたいなキャラ」は米粒の集合体ではなく、あれは「雲」なのだそうである。東海テレビのマスコットキャラで名前は「わんだほ」。あの変な形はチャンネル番号の「1」を象ったものだそうである。
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