中東各地での反政府デモにたいする、米国の二枚舌が、ここにきてずいぶんはっきりしてきた。かならずしも非難ばかりを込めてこう述べるものでは、ない。まったく二枚舌を使わぬとは、ぼくも胸は張れないからだ。 二枚舌を完全に禁じようとすれば、まずもって大学という場所(国公立と私立を問わず)に居てはならない。かつて蓮實重彦や浅田彰を批判するのに吉本隆明が「国立大学で給料をもらっていながら何をエラそうに」風に非難したのは、正しかったし、いまもそのことに基本的に変わりはない。 (moderniswitter) |
「正しかったし」どころの騒ぎではない。これはひどい誤解だと思う。
浅田 | たとえば、最近、吉本隆明の講演録を読んで唖然としたんですけどね。それによると、第三世界で飢えに苦しむ人がいるのに日本でチャラチャラ遊んでいるのは何事だ、というような議論は間違っている。なぜなら、一方は生産を主体に考えるべき地域の問題で、他方は消費を主体に考えるべき地域の問題だから、と言うんです。だけど、そういう日本の消費社会というのは、まさに第三世界の貧困の上に成り立ってるわけでしょう。たしかに、労働の移動がないところでは国際価格の定義がうまくいかないために厳密な不等価交換論は展開できないとしても、近似的に言えば、第三世界で平均五時間働いて作ったものを日本で平均五分働いて作ったものとが交換されるといったことは、十分に考えられるわけです。むろん、短絡は危険だけど、そういう比較を一切カッコに入れるというのは、非常識としか言いようがない。 |
(『GS』3、「〈オリエンタリズム〉をめぐって」) |
主 | (中略)おれは「第三世界で飢えに苦しむ人がいるのに(中略)消費を主体に考えるべき地域の問題だから」などと言った覚えも、そんな『講演録』など出版した覚えもまったくない。完全なデマだ。(中略)第三世界の貧困のギセイの上に日本のような先進資本主義国の民衆は「チャラチャラ遊んでいる」などという論議は、途方もない嘘で、第三世界の民衆の貧困は、第三世界の国家(権力)に第一の責任があり、日本の民衆が「チャラチャラ遊んで」いられるほど豊かである責任は、日本の国家(権力)に第一の責任(功績といってもいい)があり、この二つの国家(権力)の皮膜を通過しないで、日本の民衆の繁栄と第三世界の民衆の上や貧困を連結するのはまったくホラだという論議なら、おれは埴谷雄高との論争でたしかにやった。 |
客 | (中略)浅田彰が、じぶんの論議が阿呆の論議だということに気づくには、べつに不等価交換論も、スターリニストばりのこけおどしもいらない。たとえばおれがこういったらどうなんだ。浅田彰が京大助手(引用者註・当時)として「チャラチャラ遊んでい」られる給料は、おれたち〈国民〉の貢納的な税金の搾取の上に成り立っているといったらさ。浅田よ、おまえがいっている論議は、これとそっくりおなじで、おまえの言葉をそっくり使えば「むろん、短絡は危険だけど、そういう比較を一切カッコに入れるというのは、非常識としか言いようがない」ことになる。(中略)おれはまったく認めない。これはレーニン-スターリン帝国主義論が民衆を脅迫するために作りあげた嘘以外の何ものでもないのだ。(中略)この秀才ぶった馬鹿どもは、人類の叡智と民衆の解放の方向に付くのではくて、軽薄な党派的な心情の好悪に駆られて、けっして口走ってはいけないし、正義に守護されているとおもい込んで口走ってはならない虚偽を口走っているスターリニストの理論に媚を売っているんだ。 |
吉本隆明『情況への発言(一九八六年十一月)』、「情況へ」(宝島社)所収 |
吉本の批判が「国立大学で給料をもらっていながら何をエラそうに」などというところになかったことは、この引用から明らかだと思う。それどころかむしろ「何をエラそうに」で思想を批判する論拠とするのはスターリン主義の作り出した嘘と脅迫以外の何物でもないと言っているのである。仮に浅田彰や蓮實重彦が大学を辞めて、ことのついでに一文無しになって、その上で彼らが同じことを言ったとしても、吉本はまったく同じように批判したはずである。
呟きの主は美術批評家でモダニスト(これは専ら美術史上のモダニズムのことなのだろうが)だそうだが、そういう人物が中東諸国の反政府デモについて、いったい何しにどんな二枚舌を使う必要があるのだろうか。そんなもの美術批評とは何の関係もないだろうし、また一個の人間としては、かの地の政府権力なり反政府勢力なりが民衆を抑圧したり暴力的にねじ伏せたりしている光景をテレビやなんかで目にすれば「ひでえことしやがる」、米国政府が流動する状況に応じてあっちについたりこっちを持ち上げたり、なりふり構わず二枚舌を駆使している様に接すれば「アメリカの中の人も大変だな」と冷笑を報いる、せいぜいそんなところで、本気で関心など持ちようもないことではないかとわたしには思える。