とにもかくにも、ようやくまず第1章をひと通り訳出した。
このblogで最初にMSWに言及したのが1月24日のことだ(本を入手したのはその数日前である)から、約ひと月半経っていることになる。3分割して同時進行しているので、全体では約60ページほど進んだことになる。まだ全体の1/3にもなっていない。学生の頃なら、このくらいの分量の論文を突貫工事の数日で訳出したこともあったものだが、勤め人の今となってはそんな時間は取れないし、取れたとしてもトシのせいかすぐ疲れてしまう。
まあそれはいいとして、ひと通り訳出したと言っても、日本語としてはご覧の有様、我ながら笑ってしまうほど無茶苦茶である。たぶん誤訳もいたるところでやらかしている。ここから訳文に手を入れて、自分で読んでわかる日本語に直して行くわけである。具体的には、うpしたものをワープロにコピペしてレイアウトを再調整しつつ、改めて原文と対照させながら訳文に手を入れて行くわけである。しかしその作業は、下訳作業の方がまだまだこれからが本番という段階では、なかなか手がつかないだろうという気がする。GWあたりまでにどのくらい進んでいるだろうか。
しかしだよ、銭にもならない上に、本当のところ自分にとって有用な知識になるかどうかも定かではないのに訳出を始めて、とにもかくにもまだ続いているのは不思議というか、根が飽きっぽいわたしにしては奇跡に近いことである。幸か不幸か、訳出を始めた頃から仕事が忙しくなって、もともとストレスフルな身辺状況が輪をかけて不愉快きわまりないものになっていたりするのだが、実はこの翻訳作業が案外いい気晴らしになっているようなのだ。
また、以前から日常の気晴らしであったところの2chとかニコ動とかが──これは個人的な、どこがどうと指摘することもできないような、ごく漠然とした印象なのだが──なんだか近頃雲行きがよろしくない。結果としてそっちの方にはあまり気を取られずに翻訳作業に集中できているということもある。
●やれやれの追記
2chの某スレで誤訳を指摘してくれた人がいた(ひとまず感謝申し上げる)。で、まあ、放置するのはさすがに恥ずかしいので該当箇所だけ直ちに修正したのだが、
こうして公開はしているが、別に人に読ませたくて公開している私訳ではない。強いて公開している理由らしいことを記せば、哲学書の感想なんかそう簡単に書けるはずもなし、書いたとしても当てずっぽうのデタラメにしかならないに決まっている。そうすると、素人哲学のblogが原書を宣伝するにはこういう形もありうるだろう、ということだ。私訳はデタラメでも分量がハンパじゃないから、量で閲覧者をしばし呆然とさせることくらいはできるだろう。たといデタラメ訳でも一介の素人にこれだけの量を書かせる原書とは、その著者とは何者だと思ってもらえたら、それでいいわけだ。
そうでなかったとしても、見出しの「ver. 0.1」は飾りでつけているわけではない。計算機プログラムに準えて言えば「バグだらけで使い物にならないガラクタ」の表示である。わざわざ読んでもわたし以外の役には立たないだろうということを重ねて言っておきたい。
あと、今後はよその掲示板等でなされた誤訳の指摘に対しても応答しない。されたら黙って訂正するかもしれないし、面倒だったらしないかもしれない。誤訳を探す手間が省けるのは悪くもないが、どうせなら全文訳し直してpdfでくれ・・・と、これを「口上」にも入れておこう。
このblogで最初にMSWに言及したのが1月24日のことだ(本を入手したのはその数日前である)から、約ひと月半経っていることになる。3分割して同時進行しているので、全体では約60ページほど進んだことになる。まだ全体の1/3にもなっていない。学生の頃なら、このくらいの分量の論文を突貫工事の数日で訳出したこともあったものだが、勤め人の今となってはそんな時間は取れないし、取れたとしてもトシのせいかすぐ疲れてしまう。
まあそれはいいとして、ひと通り訳出したと言っても、日本語としてはご覧の有様、我ながら笑ってしまうほど無茶苦茶である。たぶん誤訳もいたるところでやらかしている。ここから訳文に手を入れて、自分で読んでわかる日本語に直して行くわけである。具体的には、うpしたものをワープロにコピペしてレイアウトを再調整しつつ、改めて原文と対照させながら訳文に手を入れて行くわけである。しかしその作業は、下訳作業の方がまだまだこれからが本番という段階では、なかなか手がつかないだろうという気がする。GWあたりまでにどのくらい進んでいるだろうか。
しかしだよ、銭にもならない上に、本当のところ自分にとって有用な知識になるかどうかも定かではないのに訳出を始めて、とにもかくにもまだ続いているのは不思議というか、根が飽きっぽいわたしにしては奇跡に近いことである。幸か不幸か、訳出を始めた頃から仕事が忙しくなって、もともとストレスフルな身辺状況が輪をかけて不愉快きわまりないものになっていたりするのだが、実はこの翻訳作業が案外いい気晴らしになっているようなのだ。
また、以前から日常の気晴らしであったところの2chとかニコ動とかが──これは個人的な、どこがどうと指摘することもできないような、ごく漠然とした印象なのだが──なんだか近頃雲行きがよろしくない。結果としてそっちの方にはあまり気を取られずに翻訳作業に集中できているということもある。
●やれやれの追記
2chの某スレで誤訳を指摘してくれた人がいた(ひとまず感謝申し上げる)。で、まあ、放置するのはさすがに恥ずかしいので該当箇所だけ直ちに修正したのだが、
こうして公開はしているが、別に人に読ませたくて公開している私訳ではない。強いて公開している理由らしいことを記せば、哲学書の感想なんかそう簡単に書けるはずもなし、書いたとしても当てずっぽうのデタラメにしかならないに決まっている。そうすると、素人哲学のblogが原書を宣伝するにはこういう形もありうるだろう、ということだ。私訳はデタラメでも分量がハンパじゃないから、量で閲覧者をしばし呆然とさせることくらいはできるだろう。たといデタラメ訳でも一介の素人にこれだけの量を書かせる原書とは、その著者とは何者だと思ってもらえたら、それでいいわけだ。
そうでなかったとしても、見出しの「ver. 0.1」は飾りでつけているわけではない。計算機プログラムに準えて言えば「バグだらけで使い物にならないガラクタ」の表示である。わざわざ読んでもわたし以外の役には立たないだろうということを重ねて言っておきたい。
あと、今後はよその掲示板等でなされた誤訳の指摘に対しても応答しない。されたら黙って訂正するかもしれないし、面倒だったらしないかもしれない。誤訳を探す手間が省けるのは悪くもないが、どうせなら全文訳し直してpdfでくれ・・・と、これを「口上」にも入れておこう。