サールのテキストには「make it the case」という表現が頻出する。これは宣言型言語行為の記述だから、実際きわめて重要なポイントである。それは私訳作りのかなり最初の頃からわかっていたわけだが、実際これをどう訳せばいいのかわからず、ググってみてもはかばかしい結果が得られなかったので、とりあえずそのまま適当に訳してきたというものである。
うpした訳文を「ひどいバカ訳」だとか「わたし以外の役には立たない」などと言い続けてきたのは、別に自虐で言っていたわけではなく、こういう重要な部分の訳がちゃんとできていないのが自分でわかっていて、後からいろいろ調べ直して訳し直すことを前提として作業を進めていたからである。
で、その訳出作業が終わりに近づいてきたせいか、はたまたもうじきGWの連休だからか、ちょっとは心に余裕が出てきたらしく、今日になって改めて調べ直してみたらアッサリ解決した。「"make it the case" Searle」でググってみると、なんと「Intentionality」の本文がぞろっと出てきたのである。以下
「Googleブックス」で読める本文からの引用。
The primary question I will address is simply this: What are the features of speakers' intentions in meaningful utterances that make it the case that the speaker means something by his utterance?
(Searle, John R., Intentionality, an essay in the philosophy of mind, Cambridge, pp161) |
そして以下が、以前からわたしが所持している邦訳書の対応部分の訳文。
私が検討する中心問題はただ次のことである。すなわち、有意味な発話における話し手の意図の性質のうち、話し手が発話によって何ごとかを意味するという事態を成立させるのは何か、という問題である。
(坂本百大訳「志向性──心の哲学」(誠信書房), p. 224) |
ナルホドナルホド・・・
むろん、この訳し方で全部通せるかどうかはわからないわけだが、ひとついいヒントが得られたことは確かである。またこの方法自体、今後とも活用できそうである。サールの著書の邦訳書なら、わたしはたいてい持っている。サールに、あるいは専門の(言語)哲学に特有の(したがって普通に辞書を引いてもうまく訳せない)言い回しは、サールの著書の本文に同じ表現がないか検索し、見つかったら手持ちの邦訳書で該当部分がどう訳されているかを見てみればいいわけである。邦訳書はモノによって誤訳も多かったりするらしいのだが、そうは言ってもど素人のわたしのバカ訳よりは全然ましであるのに決まっているわけで、訳文の改善には非常に役立つはずである。