瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

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語り得ぬもの

2017-10-30 12:59:57 | 随想
論理的でないものは駄目だ。説得力がない。話にならん。

という考え方がある。その通りだと私も思う。
が、いつ如何なる場合においてもそのような考え方を私はするわけではない。論理破綻をしていても仕方がないと考えることも時にはある。それは語り得ぬものについて語ろうとしている場合である。

語り得ぬもの。死、魂、神などなどのことである。

語り得ぬものについて語ろうというのである。論理的に語れるはずがない。
理性の守備範囲外のことである。理性では手に負えぬもの、言葉に変換できぬもの、それを語ろうというのだから端(はな)っから無理がある。語ることが矛盾し破綻するのは当然なのだ。

そのことは語るほうはもちろん承知。だから聞くほうも承知していなければいけない。論理的におかしい、という指摘は的外れもいいところ。論理的なことが聞きたければ、語り得ぬものについては聞かぬことだ。また論理的に語りたければ語り得ぬものについては語らないことだ。だから孔子は怪力乱神を語らなかった。

世界のすべてを論理的に語れると考えるのは傲慢でしかない。むしろ論理的に語れることのほうが少ないのだ。考えるための人類の武器は、所詮この脳しかないではないか。この脳ですべてが解ると考えるほうがどうかしている。

謙虚であるべきだ。私たちには世界は解らない。
が、それでも私たちは世界について考える。語ろうとする。
どういうわけだか知らないが私たちはそのような存在なのである。
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