瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

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誰の思惑? その5

2023-07-22 11:09:00 | 随想
人は子供から大人へと成長します。だから勘違いしちゃうんでしょうねえ。どんなことでも成長する、成熟するって。社会は成熟する、あるいは進歩する。人類はさらなる進化を遂げる。なんでもかんでも成長するもんだと思っちゃう。経済は成長するし、歴史は進歩する。進歩史観なんてのもありますわなあ。

でもね、子供は必ずしも大人にはならないでしょ? そりゃ身体は大人になりますよ。身体は大人になるけど精神的には子供、なんて人はたくさんいます。成長していません。
成長なんてしないんですよ。人も社会も歴史も。相変わらず、な状態の繰り返し。相変わらず、の変奏曲ってぇますか。変化はするけど、ま、大枠は変わらない、ト。

人は理想をもつもんです。そして理想に向かって進む。こんな人になりたい。いわば成長物語です。こういう人たちは成長もするでしょう。成長する幅は人それぞれですけど。
でも、こういう人たちは一部。少数派。ほとんどの人たちは成長しません。せいぜいマイナーチェンジする程度。
そんな大多数で構成される社会は当然成長しない。愚かなことを繰り返す。

ただ状態が変化しているだけなんでしょう。
「方丈記」の冒頭。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」。これは無常観なんで、あたくしの言う「相変わらず」とは相容れないようですが、あたくしは同じことだと思ってます。変わるっていったところで泡がぽこって出たりぱちんと弾けたりする程度。その出来事も川の流れの中での出来事に過ぎません。川が泡で埋め尽くされたり、川が干上がって天空に水が流れるなんてことはない。そんな劇的な変化はない。

変化はする。無常ではある。けれど、根本的な変化はしない。賢さと愚かさは混在し、人類はその在りようのままに賢さと愚かさを繰り返す。賢さへと成長することもなく愚かさへと堕落することもなく、相変わらずのまま変奏曲を奏でつづける。

と、ここまで読んで、タイトルの「誰の思惑?」ってなによ? って感じにもなるでしょうけど、私たち人類、あるいは地球、天の川銀河なんてえのは泡みたいに浮び上がったり消えたりしてる存在で、その泡を作ってる川って何なんでしょうってことです。川って誰? 何者? いや、まあ、誰ってことでもないんでしょうけどね。

全存在のなかにあって、私たちはどこへいくでもなく相変わらずを繰り返してるだけなんだろうなあ、とそんなことを思ったりします。

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