瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

誰の思惑? その6

2023-07-27 15:46:00 | 随想
デヴィッド・R・ホーキンズ「パワーか、フォースか 改訂版」(ナチュラルスピリット 2018年)って本があります。改訂版じゃないのは2004年の出版。原書はいつ上梓されたんだか知りません。ま、古いっちゃ古い本ですけど、あたくしの感覚では最近の本。
ま、それはともかく。

実のところ、読んではいないんですけどね(苦笑)。内容の感想じゃなくて、話の取っ掛かりなんで、読んでなくってもいいんです(笑)

意識レベルについて書いてあるようです。それが17段階ある、ト。意識レベルはエネルギー量で決まるんだそうで一番上の700−1000が「悟り」。それから下って一番下が20の「恥」。詳しく知りたい人はご自分でお調べください。この本についての記事や解説動画はいくらでもありますので。

で、あたくしが気になったのは「段階」って発想でして。「段階」って言っちゃうと当然上下が出てくる。「悟り」が上で「恥」が下。エネルギー量で判断してるわけですから多い少ないっていうか高い低いっていうか、だから上下ってモノ云いになるのも当然なんですけど、そこに評価基準が混じっちゃうのが人ってえものでして。上が良くって下が駄目。「悟り」が上等で「恥」が下等。

だから、あたくしが引っ掛かっているのは「段階」って言っちゃうことで出てくる評価の上下ですね。人ってぇのはどうしたって善いの悪いのと言いたがる。優劣を判断し、肯定したり否定したりする。評価して価値を決めたがるもんです。
ま、それはそれでいいんです。評価基準、価値観がなきゃ何にもできやしませんから。
個人レベルではそれでいいんですけど、全体を見たときですね、俯瞰したときには意識レベルの段階ってぇのに上等も下等もないんじゃないかと思いまして。「悟り」が良くって「恥」が駄目ってこともないでしょう。たんにそういう意識レベルがあるってぇだけで、色調が違うというか音色が違うってぇか。

音には音階ってのがありますね。ま、音の段階っていっていいと思います。でもこの場合は「段階」っていっても上下で良い悪いの発想は出てこない。高い音は上等で低い音は下等だなんて誰も思わない。こと意識のことになるとレベルが高いと上等で、レベルが低いと下等だと思っちゃう。でも音階と同じで意識に上等も下等もないんだと思いますよ、本来的には。

高い音だけで曲が出来てるわけじゃない。低い音もあって色彩豊かな曲になるわけです。
意識も同じでしょう。高い意識レベルの人たちがいて、低い意識レベルの人たちがいる。いろんな人がいて色彩豊かなドラマが紡がれる。善い人たちばかりじゃ、つまらんですよ。単調極まりない。

ホーキンズが何を書いているのか知りませんけど、意識レベルが17段階あると読んだ人は自分の意識レベルを上げようと思うんでしょうなあ。
それはそれで結構なことです。人には向上心が必要です。より善く生きるのは大切なテーマです。
ですが、エネルギー量が20「恥」から1000「悟り」になる、なんてことはまず無理でしょう。そりゃ、それが出来る人もいるでしょうけどそんな人は例外です。ほとんどの人はほんの少しエネルギー量が上がる程度。人はそうそう変化しません。

しかし、それでいいんです。意識レベル「恥」の人も意識レベル「悟り」の人も必要なんです。色彩豊かな世界にするには17段階の意識レベル、全部必要です。「恥」の人は「恥」担当、「悟り」の人は「悟り」担当なだけです。各々の担当をまっとうしてりゃ全体としておもしろいドラマが紡げるってぇ寸法です。

じゃあ、誰がその脚本を書いているのか。
さあ、誰なんでしょうかね。知りませんよ、あたくしは。端役で出演させてもらってるだけですから。

ま、ともかくも自分の担当をまっとうするだけですわ。

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