瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

#63

2013-02-19 01:43:44 | 考える日々
あたし、時代が下るにつれ、人は精神的に不自由になっているような気がするのね。不安感だの孤独感だのが増大しているように思えるのよ。心の平穏からどんどん遠ざかっているんじゃないかしら。そんなことない?

むかしは良かったとは言わないよ。むかしだって人は辛く苦しい人生をやっていたに違いないもの。だから人は人を超えた存在、神を発明して祈ったんだろうしね。それでも宗教が機能していた頃は死後の世界も存在し、それなりに救われてはいたんじゃないかしらね。それを科学が世界観を作り変えちゃったから死後の世界はなくなっちゃたし、神も死んじゃった。神に替わって人間が世界の主人公になったのはいいことだとは思うけど、人間は神と違って万能じゃないからね、不自由が拡大してしまった。

科学が世界を悪くしたから宗教に還ろうと言っているわけじゃなくってね、この流れが、不自由が拡大していく流れが、あたし納得いかないのよ。世界に対する理解が深まって不自由になるって、どういうことよ、わけわかんない。

ま、あたしたちの理解がまだまだ不足してるからだ、という考え方はあると思うのね。さらに理解が深くなれば世界はやすらぎに満ちることになるだろうってね。旅の途中なんだから、まだまだ辛いのは仕方がないってね。

でも宗教から科学への流れを見れば、知ることは不幸になることである、という考え方をするのもアリなのかなト。いくら、あたしが納得いかないからって、そんなこと関係ないもんねえ。事実は事実だもの。
じゃあ、宗教以前を想像してみるか。その時代は幸福といっていいのかしらね。そもそも宗教以前の人類に“幸福”という概念があるのかどうか判んないけど。恐怖は単純な感情だから最初からもっていただろうけど、不安は精神が複雑になって初めてもつ感情じゃないかしら。そういった複雑な感情や他人だけでなく自分も死ぬのだと知るという知性を獲得して、その救いのために宗教を拵えたんだろうけど、じゃそれ以前というのは要するに無知の時代で、幸不幸が存在するはずもないよねえ。人類が知恵をもったのが不幸の始まりなのかしら。なんだかエデンの園を追放、みたいな話になってきたね。

それにしてもなあ、やっぱり納得いかないよ。無知の時代っていうのは、つまり動物と同じレベルなわけで、それをもって最上の幸福とするのは、なんか違う気がする。知性を獲得して不幸になるっておかしいよ。知るっていうのは豊かになることよ。豊かはしあわせよ。どこかで何か勘違いをして知性の向かうべき方向を間違えたのかしら。いまの知性の在り方に問題があるのかしらね。うーん、どう考えていいのかわからなくなってきたので、今回はここまで。
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