瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

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人とは

2015-08-21 15:29:32 | 随想
物には適当な大きさがある。大きいことはいいことだ、ではない。量もしかり。たくさんあることはいいことだ、ではない。適量というものがある。

人は間抜けだから往々にしてサイズを間違え、バカげたものを拵える。拵えた後に、やっちまった、と思えば救いもあるが、そのバカさ加減に気がつかずかえって威張るようなところがある。困ったことだ。
自然はよくしたもので適当を知っている。

と思ったが、恐竜の大きさを考えると、あれはちとバカげているかもしれない。バカげているから滅んだか。ま、生態系の頂点にいるものは環境の変化には弱いから滅んだんだけど。

恐竜が大きいのは人間から見たらであって、当時の自然界にあっては特に大きいわけでもない。植物もまた当時は大きかったのだ。地球環境としてそのサイズが適当だったのである。当時は温暖だったから。やはり自然は適当を知っている。

人は何故(なにゆえ)かくも、より大きく、より多くを求めるのか。そして、より速く、より遠くを。それは生きるためではあるまい。生存のためなら適当を知っているはず。
つまり人とは生きるために生きているという存在ではないということである。滅びへの道をたどることもあえてするような存在なのである。生命のありようとしてはかなり変わっている。本当、バカげている。そして傑作ともいえる。
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