瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

健全な常識人でありたい

2017-10-15 12:41:26 | 随想
自分で自分にレッテルを貼るのもおかしなことだが、私は自分のことを健全な常識人だと思っていた。に対し、世間は不健全な常識で凝り固まっていると考えていた。だから世間と折り合いが悪いのだ、と諦めていた。

しかしこれは私の言い分。世間から見れば世間が健全な常識を構成しているのは当然で、ゆえにこれを不健全と見做す私のほうがよほど不健全。平たく言えば、私が変なのである。

ま、どちらから見るかで見え方が変わるのは当たり前のことだから、どっちのレッテルでも構わない。ようするに私は世間との折り合いが悪いというだけのことである。

が、世間との折り合いが悪いについてのこのレッテル貼りは以前のこと。不健全で非常識を口にするのが私ではないか、と最近思うようになった。

武力には武力をもって対抗せよ。
これが世間一般の常識であろう。敵がそのような戦力を保持するなら我国はそれを上回る戦力を持たねばならない。
これが常識だから軍拡競争は当然である。軍拡競争の行き着く先は核武装である。有無を言わせず敵国の戦力を圧倒するには核兵器以外にはない。

常識的な発想だと思うが、これを私は不健全だと言うのである。核戦争をすれば絶滅は必至である。絶滅を指向する心性なんぞ不健全以外なんでもない。
世間は不健全な常識で凝り固まっていると私が言うゆえんである。

武力には非武装で相対せよ。
これが私の考えである。武力を持ち出す相手に対しこちらは武装解除してしまえ、というのだから非常識である。非武装なのだから、殺されても当然だ。身の安全から言えば不健全である。私は不健全で非常識なのである。

が、私の非常識は実は常識でもある。武力に武力で対抗していてはインフレーションを起こすのは当たり前だ。武力がなくなるはずはない。武力をなくすにはそれを放棄するのは理の当然。常識なのである。
そして私の不健全は健全でもある。物事の解決に暴力を使わないのだから。無抵抗な者をなぶり殺しにするほうがよほど不健全である。病んでいる。

不健全で非常識な私が、いつか健全な常識人として扱われる世界を願いつつ、世間の片隅でひっそりと生きるばかりである。
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