こんな夢をみた。
自販機に並んでいる多くのボタンのうち機能しているのはひとつだけ。選択の余地はない。押すとコーラが出てきた。もう一回押す。次はスプライト。同じボタンを押しているのだが違う商品が出てくる。友達にそのことを告げると、友達は私からスプライトを取り上げ一口飲む。これはコーラだ。そう言う友達から缶を奪い返し飲んでみる。スプライトである。
目が覚めて思う。なんだか人生みたいだなあ。やることが吉と出るか凶と出るか、やってみないとわからない。その結果も、人によって評価が異なる。
またこんなことも思う。自販機も外見スプライトも、その中の状態は量子力学でいうところの“重ね合わせ”みたいだ。あたしは量子力学なんてさっぱりわかんないから、ただシュレーディンガーの猫と似ているということを思っただけなんだけど。
ま、量子力学なんてわけのわかんないことを引っ張り出してくると混乱するだけだから、自分で手に負える範囲で考えたほうが賢明だね。それで考えたってどうにかなる。夢なんだから考えたいように考えるだけだもの。ようするにこの夢は“万物斉同”って解釈するだけだから、あたしはネ。“万物斉同”のあたし流の解釈になっちゃってるかもしれないけど。とどのつまり、すべては同じもの。だから別に見えるものも同じものに端を発している。別に見えてるけど実は同じもの。自販機の中においてはコーラもスプライトもない。外に出てきて始めて何某(なにがし)かの形をとる。別の形をとったとしても出所は同じ。外見スプライトも飲む人で味が変わるとみてもいいけど、本当に味が変わるとみれば、缶の中にあっては何物でもなく、缶から出てコーラとなりスプライトになる。
夢のいいところは自分のおもしろいように解釈して一人感心して遊んでいられるところよね。フロイトがどう言おうが知ったこっちゃないよ。あれはあれで興味深いけど、万人に適用するのはどうかしらね。あたしの夢だもの、人生みたいだなあ、であり、量子力学っぽいな、であり、やっぱ万物斉同か、なのよ。夢を見てる間はそうでもなかったけど、そのあとイジリがいがあって、なかなか楽しい夢でした。
自販機に並んでいる多くのボタンのうち機能しているのはひとつだけ。選択の余地はない。押すとコーラが出てきた。もう一回押す。次はスプライト。同じボタンを押しているのだが違う商品が出てくる。友達にそのことを告げると、友達は私からスプライトを取り上げ一口飲む。これはコーラだ。そう言う友達から缶を奪い返し飲んでみる。スプライトである。
目が覚めて思う。なんだか人生みたいだなあ。やることが吉と出るか凶と出るか、やってみないとわからない。その結果も、人によって評価が異なる。
またこんなことも思う。自販機も外見スプライトも、その中の状態は量子力学でいうところの“重ね合わせ”みたいだ。あたしは量子力学なんてさっぱりわかんないから、ただシュレーディンガーの猫と似ているということを思っただけなんだけど。
ま、量子力学なんてわけのわかんないことを引っ張り出してくると混乱するだけだから、自分で手に負える範囲で考えたほうが賢明だね。それで考えたってどうにかなる。夢なんだから考えたいように考えるだけだもの。ようするにこの夢は“万物斉同”って解釈するだけだから、あたしはネ。“万物斉同”のあたし流の解釈になっちゃってるかもしれないけど。とどのつまり、すべては同じもの。だから別に見えるものも同じものに端を発している。別に見えてるけど実は同じもの。自販機の中においてはコーラもスプライトもない。外に出てきて始めて何某(なにがし)かの形をとる。別の形をとったとしても出所は同じ。外見スプライトも飲む人で味が変わるとみてもいいけど、本当に味が変わるとみれば、缶の中にあっては何物でもなく、缶から出てコーラとなりスプライトになる。
夢のいいところは自分のおもしろいように解釈して一人感心して遊んでいられるところよね。フロイトがどう言おうが知ったこっちゃないよ。あれはあれで興味深いけど、万人に適用するのはどうかしらね。あたしの夢だもの、人生みたいだなあ、であり、量子力学っぽいな、であり、やっぱ万物斉同か、なのよ。夢を見てる間はそうでもなかったけど、そのあとイジリがいがあって、なかなか楽しい夢でした。