瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

存在とは

2021-04-26 22:44:05 | 随想
物(ぶつ)なら見たり触ったりで在ることを確認もできましょうが、物でないものは見たり触ったり出来ませんから在ることを確認しようにも確認のしようがありませんわな。でも物でないものはそんなやり方じゃ確認出来ないってだけで、確かに在るには違いない。といえるのは感じるからです。感じられれば在るんです。

あたりまえのことですが世界は物だけで出来ているわけではございませんで。ってぇことは感じることで在ると認識してることがたくさんある。
けどね、感じるなんて人それぞれですよ。感じる人には在るし、感じない人には無いし。感じる人同士でも違って存在してることもあるし。まあ、滅茶苦茶な世界ですわ。滅茶苦茶って言い方が悪いなら頼りないとでもいいましょうか。なんともあやふやなモンで世界は成り立っているわけでして。

だから世界はいつだって崩壊しかかっているんでしょうなあ。崩すのは簡単ですからね。壊れるのは一瞬です。
そんな崩れそうな世界を支えているのが信じるってことでしょう。在るんだか無いんだか分かんないんだから信じるほかありません。信じることが力です。

信じるってのはようするに愛するってことです。世界は愛によって形を与えられているんです。愛が世界を創っている。
在るってこと自体が愛なんですね。


追記
相変わらず飛躍してるなあ、と思わなくもないけど、ま、いいか。論理的に出来てないんですよ、あたくしの頭は。

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