瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

読書メモ(小松左京 その3)

2024-01-21 13:47:00 | 本の話
時系列で並べれば絵画も進化していると見て取れるわけですが、時系列を無視して並べればそこにはさまざまな絵画表現があるだけです。絵画表現にもいろんなヴァリエーションがありますねってことです。

人っていうのはモノを考えるときどうしたって時間軸から離れられない。因果関係を考えますからね。あれが原因でこういう結果になった。時間の流れがそこにはあります。
そもそも時間ってなんですか?って話でもあるんですが、そんなことはあたくしの手におえることではありません。ただなんとなく時間が流れてるというのは錯覚なんじゃないかしら、ってなことは思いますけどね。

それはともかく、人は時間軸で捉えるので進化って概念をもってしまう。その進化の過程を見たとき、これまた人ってのは序列をつけてしまう。高等下等。じゃ進化の先にあるのはより高等なものってことになる。進化をそのように捉えるから「人類の限界」について考えてしまう。

進化を時間軸で捉えるのをやめてしまえば目の前に展開されているのは生命形態のただのヴァリエーション。序列を廃して等価と見ればやっぱりただのヴァリエーション。いろんな生命形態がありますねってだけ。いろんな絵画表現がありますねってのと同じ。

わたしたちはどこへ行くのか?
そんな大げさなことを考えるのは進化に取り憑かれているせいですよ。何か、より高等な存在への希求。この先にはより高度な在り方があるはず。
いえいえ、未来にあるのはただのヴァリエーションですよ。基本的には何も変わらないでしょう。あえて序列をつければ現在より高度かもしれない。仮に高度になったとしても高度なものを目指しているんじゃなくて結果的に高度になっただけなんじゃないかしら。目指ししているはヴァリエーションを増やすこと。以前には無いものを生みだすこと。わたしたちはどこにも行きゃしません。

わたしたちはなにも高尚なものを目指して生きているわけじゃない。人類ってそんな大そうなもんじゃありません。自分とその周りの人たちの幸せを願って生きるささやかな存在です。昔も今も。そして、これからも。それで充分です。

このあと宇宙は神の卵ってことについて書きたいのですが、長くなったのでそれはまた次回。

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