瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

#27

2013-01-06 23:48:15 | 考える日々
みんなで狂えばそれが正気となり、正気を保っている人が逆に狂人扱いをされる。戦争なんかはそうだよね。日本の先の戦争だって今から見れば、正気?って疑いたくなることが当時はまさしく正気だったんだからね。バブルもね、みんなが浮かれてるときに、こんなのいつまでも続くはずないじゃないって至極真っ当なことを言えば、狂人とは言わないまでも変人だもの。
周囲が狂っていく中で正気でいるのは大変よね。出来れば、あたしは正気でいたいけど、それが幸せかどうかは別の話。周囲から狂人扱いされちゃたまらんもんなあ。ま、無理に正気を保とうとせず、みんなと一緒に狂ったほうが楽ではあるね。踊るアホウに見るアホウ同じアホウならみんなと一緒になって踊ったほうが、そりゃ楽しいに決まってるもの。でも正気でいるか狂っちゃうかの選択なんて、そもそも出来ないんだけどね。みんな“自分で在る”だけだから。それがどっちへ転ぶかはわからんもんねえ。さあ、あたしはどっち?って話になるけど、自分ひとり正気を保ち狂人扱いされる心配をする必要は、たぶんないね。だいたい自分で気が付かないうちに周囲に呑み込まれ、自分が踊っている自覚すらないままに踊っていることになるでしょうなあ。十数年たったのち、あの時の自分が別人のように思われたりするんでしょう。夢をみているうちは、それが夢だとはわからんもんね。
そうやってみんなで同じ夢を見ながら大騒ぎをしてきた積み重ねが歴史ってことでしょうね。ときどき、王様が裸で歩いているよって言う人が現れるんだけど、そんな時はみんなでよってたかって口を封じるのね。夢を見ている人が圧倒的多数のときは何を言っても無駄だよね。でも夢から覚めたとしても、また別の違う夢を見始めるだけだから、いつの時代でも同じ夢見てる人が圧倒的多数なのは変わらないけどね。覚めてる人も言い方換えれば、別の夢を見ているだけともいえるわけで、要は幻想を共有している集団の規模の違いってだけのハナシだったりするんだけどね。


追記
前回書いたことに読んでる人はノーコメントってことは、そんなことどうでもいいじゃねえかってことなんでしょうねえ。
じゃ、あたしも割り切って独り言としてつづけることにしましょう。読んでる人のことは意識しない。
と言ってもねえ、性分だからそんな簡単に割り切れないよ。このあとも揺れ続けることになるんでしょうなあ。
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