あけましておめでとうございます
昨年はこの拙文をお読みくださり、ありがとうございました
本年もできればお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます
瓢簞舟
年頭の挨拶につづいて、では、本文。
馬鹿な子ほどかわいいってぇ言い方がありますが、なんか放っておけないんでしょうねえ、そういう子は。構いたくなるってぇますか、手助けしたくなるってぇますか、応援したくなる。
そういう気持ちはあたくしにもありますが、それは子供に対してだけですねえ。馬鹿な大人には、あたくしはとことん冷たい。相手にしない。
愛情が足りないんだなあ、と思います。
足りないも足りないに違いありませんが、立ち位置の違いかな、とも思います。子供に対しては大人であるあたくしは庇護する立場にいるわけですが、大人に対しては同列。同列にいる者には厳しいってことなだけかもしれません。厳しいっていうより子供に対してよりも大人に対してのほうが多くを要求するってことかもしれない。大人なんだからこれくらいのことは出来て当然だ。
自分の立ち位置を「庇護、見守り」にすれば大人に対しても「馬鹿なほどかわいい」になったりするのかしら。でもそれはそれで優越感に酔っているようで嫌だなあ。上から目線ってのも、なんだかねえ。
人間の愚かしさを素直に愛おしく感じられたらなあ、と思いまして。あたくしには出来ないんですよ。愚かしさを愛おしいなんて思えない。愚かしさは唾棄すべきものでしかない、あたくしにとっては。だから、愛情が薄いんだなあ、と我ながら思うわけです。愚かしさを含めた否定的な要素をも肯定するだけの愛情があたくしにはない。
すべてを肯定する。そんな愛情をもって生きられたなら、いかに歓びある生(せい)であることか、と思います。
愚かしさや執着、憎悪などなど、ああ嫌だ嫌だ、と思って生きているのは正直しんどい。すべてを愛おしく、可愛らしいと受け容れられたなら、歓びを生きられるんじゃないかしら。
生きるって本来歓喜あふれるものでしょうにね。
人には気持ちというものがあり、
皆、それぞれ気持ちがあり、それは喜ばしいことでもあるし、くるしいことでもありますね、、、
今年もブログをたのしみにしております。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
読んでもらえるだけでも書く気力につながりますが、コメントまでくださり本当にありがとうございます。
今年はもう少し更新できるよう努めたいと思います。
yozanema-126さんのブログも楽しみにしています。カヤックで遠征できるといいですね。
松の内ギリギリですみません
明けましておめでとうございます
本年もどうぞ宜しくお願いします
〜全てを肯定する愛情ってすごいです
それこそが世界を愛で包む唯一の方法かもしれませんね
今年はそれを目指して(とてもむずかしいですが😅)少しでも愛情深く生きたいと思います、ありがとうございます💕
その子供同士はいわば兄弟喧嘩をしたりしてるわけで、兄弟でケンカするのは仕方がない面もあるのかな、ト。
愛情で包むという言い方をするなら、包むには全体の外側にいる必要があって(内側にいては包めませんから)、外側にいるってことは全体を俯瞰出来てるってことですから(もちろん自分自身をも外側から観てる)、なかなかに難しいことだなあ、と思います。
ちょっと解りにくい書き方になってしまったかもしれません。すみません。
ikuchanさん、こちらこそ、本年もよろしくお願いします