マンションのベランダから・・
春弥生の中旬に雪がふりました・・・
例年にない暖かさの為か札幌の積雪もほぼなくなり喜んでいましたが、矢張り春はまだ程遠いですね!
昨夜弟がキャンセル待ちのフエリーで苫小牧を出港する旨の電話があり安心しました。
毎年考える事ですが1年間の雪の降る量が決まっていて、安心していると昨日の降雪です。
待ち遠しい春に家庭菜園の準備を早めにしていても、土が暖かくなる時期は決まっていて草木の芽吹きも殆ど同時期です。
卒業式の季節ですが学生さんも大変です。
速いもので母が亡くなってから49日を迎えました。
長野に住んで居る三男の弟が葬式には参加出来ませんでしたので、昨日新潟からフエリーで来札されました。
彼は若い頃からスキーが趣味でしたが、聞くところによると今日も国際スキー場で滑り昼頃私の家に来ました。
十数年も逢っていませんでしたが弟は変わりありません?
家族が4人集まりましたが次男は遅れてきました・・
来宅すると挨拶も其の儘でトイレに駆け込みました。
トイレから中々出て来ませんので、「どうした?具合でも悪いのか!」と問い合わせてトイレに行きますと、トイレの床は水浸し・・弟は前半身糞まみれで掃除して居ます。妻の下の世話をした事が無い私が弟の下の処理を何故しなければならないのか?
久し振りに来道する弟の為に今朝早くトイレ掃除をしたばかりです・・
高齢者ともなれば我慢が出来ない事もありますが、母の49日にトイレで掃除する姿は来道した次男も苦笑いです・・
妹の仕事が清掃員なので綺麗に掃除してくれました・・
49日の糞尿談です!!呆れてしまいました。笑い事ではありません?
春弥生3月・・札幌の朝もまだ肌寒い日でしたが晴天に見舞われ上記フォーラムが開催されました。
会場オープンと共に約60名に亘るスタッフが実行委員の指揮のもと整然と準備が整われました。
全国からの案内ブースも準備完了です。
私は全国から出席者の案内係の一員です・・
熱気あふれる大ホール会場も満席です。
スタートは我がNPO法人 北海道ひまわりの会・会長平野雅宣の挨拶と共に、厚生労働省老健局長の大島一博様のパネル説明から始まりました。見を渡しますと広い会場も満席です。
会場の様子等私は受付ですので詳細には分かりませんが、覗きますと会場は熱気があふれています。
集計参加者は約530名になり終盤には用意した資料が不足する程喜ばしい結果でした。
来年の開催地は三重・四日市ですが開催地担当者は誘致案内に一生懸命です。
年号が変わる2020年2月16日(日)四日市市文化会館で行われます、次回の成功も祈っております。
上記フォーラムが今日開催されますが、全国からお集りの関係者92名参加され懇親会が
札幌ガーデンパレスに於いて盛大に行われました。
厚労省から老健局長が出席願いご挨拶頂き厳かに粛々と執り行われ、皆様と共に楽しく過ごされました。
遠路本州から又道内各地から若年認知症と家族の会代表が参加され和気あいあいと懇親会が無事終了致しました。
本日は北海道教員文化会館にて本題のフォーラムが開催されます。
融雪剤・籾殻が入っています。
札幌もこの処暖かくなって融雪も進行中ですが、私の畑は少し山奥の高台にあり積雪は60cm程あります・・
屋根の雪は圧雪でかなり重量がかかっています。
今日は小屋屋根の雪下ろしと畑に融雪剤を散布しました・・
白い雪の上に鹿の足跡が付いています、まだ春には程遠い季節ですが、家庭菜園が楽しみです。
博多駅は近代的で美しく又地下鉄も綺麗です。西鉄福岡線で太宰府駅を下車しました。
駅前から天満宮迄間違って左方向へ行き困っていますと、腰の曲がったお婆さんが歩いて来ましたので天満宮は何処ですか?と聞きますと、自分は其処へ行きますので案内しますと云われて同行させて頂きました。
私より高齢者なのに歩く速度が速くついて行くのに大変です。
天満宮迄の近道を案内してくれましたが?そこは一番奥の茶店でお婆さんは茶店で名物の梅が枝餅を造っているそうです・・
お礼のあいさつをすませて境内を歩きますと、早めの暖気の為梅の花が終わり頃でした・・
早朝の境内は静かで威厳があり気持ちが安らぎます。
裏手から本堂に向かいますと、韓国の観光団が大勢参拝に来ていました。
その後鉄道を乗り継ぎ柳川駅に着きましたが、今年の川下りはこの時期川洗いで、お堀りが堰き止められ見ることが出来ません?ここも韓国人観光客で一杯ですが高齢の船頭さんは片言後の韓国語でおもてなしです。
それでもお濠までの数百メートルを形ばかりの往来です・・
この狭い川を数社が行き交い又土手の柳も枝が枯れて見る風景も異様です。
柳川名物うなぎを食べて気晴らしです!!
最近運動不足の為か、歩く時階段昇るときに息切れがします。
又食事の後胸やけや喉のつかえがあり、喉付近に違和感があります。
昨日病院でレントゲン・心電図で計測しましたが、結果は異状なしでした。
先日蕎麦を食しましたら喉がつかえて胸が苦しくなりました ・・
先生は一時的なもので問題は無いと云われましたが歳は取りたくないものです。
毎日除雪と歩くことにしています。
http://www.caxton.sakura.ne.jp
中国の旅 個人写真集
母の葬儀も終わり一段落しました。
昨日は立春でしたが吹雪大荒れでしたが、今日は穏やかな天候です・・
家に閉じこもりも良くなく久し振りに(さっぽろ雪祭り)に出かけて見ました。
ススキノ・大通会場も平日のせいか、観光客も少なく空いています・・
子供連れの観光客は露店の食べ物処に一杯です!!
帰りに地下街のコーヒー店に入り一休みしましたが、コーヒー一杯600円で驚きましたが?
目の前のカウンターでコーヒーをおとす様子を見ていましたが、豆を軽量し粉にし布製のフエルターで時間を掛けて丁寧に落とす姿は職人技です、コーヒーが高いのも理解できます・・美味でした!1
スタバのコーヒーと自宅のコーヒーと比較になりません?
久し振りの万歩計は5000歩で疲れました。
亡き母は2年前まで介護施設でお世話になり、昔人で足腰も強く・脳が衰えず・口も達者で介護家族の妹達や介護師さん達にも大変困らせておりました・・介護保険の適用も要介護2では100才を越えても特養の入所は許可されませんでした。
認知症のように精神障害手帳の発行も無く、生活費用的にも苦労をしなければなりませんでした。
この年齢で毎日カラオケに通い地域では有名なお婆ちゃんです!!
ある日右足を骨折し歩くことも自分で身の回りの整理も出来なくなり、妹は特養に申し込み漸く102才で入所が特別許可されました。元気な母は口が達者で施設の人気者です・・
特養入所について高齢者でも歩けて話し言葉がはっきりする老人は中々入れないと云う事を聞いて驚きです?
生前我儘で勝気な母の葬儀が無事終わりました・・長男として今はホットしています。
大正・昭和・平成の3代に亘り6人の子育てに大変苦労をして来ました、終戦後苦渋の生活は私の記憶に生々しく思い出されます。
父は仕事上いつも単身赴任で不在です・・
食糧難時代子沢山で母と畑を耕した事・母が出稼ぎに行き夕方の暗い頃一人線路上を迎えに行ったこと等。その後
母の後期は新興宗教にのめり込み家族の分裂にも及び兄弟と疎遠になりました。
それでも母の大往生を考えますと久し振りに兄弟が集まり、和気あいあいと仲良く語り合えた事は昔のわだかまりも全て流す事が出来ました・・・
母と父の結婚式は考えて見ますと出来なかった状況で、105歳の母の希望が一度でいいから白いウエディングドレスを着て見たかった・・・との気持ちは幾ら年を取っても女性でした。
その気持ちを叶えてあげるという深い思いは二人の妹には叶いません?
祭壇にはカラオケ大会で優勝した、賞状とトロフィーが飾ってあります。
大正四年生まれの母がきのう亡くなりました。
連絡を受け特養へ駆けつけますとべツトの上で静かに穏やかな顔で眠りについています・・
特別養護老人ホーム中で最高高齢者で3日前にカラオケ大会があり優勝し賞状とトロフィーが部屋に飾ってありました。
意識ははっきりして施設では人気者です。
二人の妹達は生前母に聞きました処ウエディングドレスを着たいとの話でしたので、
妹は手縫いの白いレースのウエディングドレスを持参して二人で着せています・・
小さな体で穏やかな顔でウエディングドレスを着ている姿は美しくもあり感動です・・
施設の皆様も来室されて美しさに手を合わせています。
遺影はそのカラオケ大会でトロフィーを持って微笑んでいる母です!
ウエディングドレスを着てお棺に入る亡き母は前代未聞の姿です。特養の介護士の皆様も大勢集まて来て吃驚です!!
葬儀屋さんもビックリです・・
昨日の吹雪を忘れるくらいの晴天です。
北海道ひまわりの会の新年会は毎年開かれて数年にもなります。
今日は昔の仲間も参加して懐かしい気持ちです・・妻が大変お世話になった頃とは会員の皆様もすっかり変わり年齢的には若返った様子です。
若年認知症本人同伴の家族参加も多くなり全般で出席者は約56名位です。
参加者の多くは介護関係の人やボランテイァの皆さんで、一生懸命にゲーム・踊り・カラオケ等とサポートしてくれます。
3時間に及ぶ新年会も楽しく・賑やかにそして本人も楽しく過ごしておられました。