じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

駅は目の前。なのに

2005-12-08 10:05:29 | Weblog
昨夜、早く(といっても午前零時過ぎだけど)寝たのが裏目に出たようだ。

四時半に早朝覚醒、どうしても眠ることができない。

いやな汗をかく。なんとも言えない気持ち。

めまい、息をするのが苦しくて、公園で座り込んでしまった。


どうして…?


あたしは、夢に出てくるほど、ばあたんに会いたい。

じいたんと、帰りにコーヒーを飲む約束だってしている。


なのに今、駅へ向かう道の途中、公園のど真ん中で、

快活な表情で出勤していく人たちを眺めながら

携帯を取り出して、記事を打ち込んでいる。

駅まで徒歩であと五分の場所で。



書いているうちに、気持ちが落ち着いてきました。

祖父といま、移動中。

ありがとう、行ってきます


強く、優しく。

2005-12-08 06:16:04 | あの一言。
アメリカのハードボイルド作家、レイモンド・チャンドラーが
確か、その作品のなかで
主人公の探偵、フィリップ・マーロウに言わせていた台詞だったと思う。


「強くなければ 生きてゆけない。
 優しくなければ 生きる資格がない。」


某CMに使われていた(20年以上前です)時には
何となく、子供心に安っぽく聞こえていたのです。

なのに

活字として、その言葉が目の前に現れた瞬間、
いのちを得て 滑り込むように
わたしの こころのなかに、すとんと、落ち着いたのでした。



今日は、祖父と一緒に、これから
祖母の見舞いに、行きます。


この美しい一対の老夫婦を 見つめ続ける 資格を

強さと 優しさを


どうかかみさま わたしに お与えください。

告白。

2005-12-07 05:24:00 | 自分のこと
少し、重い内容です、ご承知置きください。


ここ二ヶ月ほど更新が滞っていた理由、それを
書きたいと、思います。


病気なんかで同情を引きたくない
それに、ご心配をおかけしたくない

希望と愛を、生きることの素晴らしさを伝えるのが、
わたしのブログの目的。

だから、病の真っ只中では、お話できませんでした。


ですが、おかげさまで、山は、越えつつあるように思います。
いや、完全に超えるために

告白することを、許してください。


***********


更新が滞りがちになっていたこの二ヶ月ほどの間
わたしは、

闘病していました。


診断名は「うつ病」です。


もともと素質はあるという自覚があるので、
予防の意味で

かかりつけ医に訳を話して、必要な薬を処方してもらいながら、
介護をしてきた二年半を駆け抜けてきました。


ですが、ばあたんを入院させたことをはじめとして、
その後のじいたんばあたんの生活のこと、
親戚との葛藤、叔母の病気、妹の結婚をめぐる問題
自分の将来のこと、相方とのすれ違いなど

色々なプレッシャーが
突然一気に襲い掛かってきたこの秋…

それらが、自分を押しつぶし始めている
と自覚したある日、


吐き気とめまい、食欲不振と便秘、睡眠障害という形で、
それは現れました。

暗算や、書類作成にミスが出るようになり、
いつも笑顔が自然に出ていた、それが、出なくなりました。


多少そういった方面に明るいわたしは、
ああ、これは「プチうつ」だな、と思い
生活を変える努力を、してきました。

最初、それで何とか乗り越えられそうな様子もありました。



でも、そのうちに、
自分の意思とは関係なく、

怖ろしい考えが、間断なく襲ってくるようになりました。


 (皆様がご存知の通り、わたしは、将来に夢を持っています。

  介護を最後まで、もし許されるならやりとおすこと。
  そして分不相応な夢を、だけど諦めないで持ち、
  トレーニングを続けていること。
  自分の殻を、破って、成長し続けること。)


なのに、それでも、
その怖ろしい化け物は、

わたしの意思とは関係なく、わたしをさいなむようになりました。


「わたしは、この世からいなくなるべきだ」


明るい時間に、外へ出かけるのが怖ろしくなりました。

じいたんのことが気ががりなのに、
じいたんに、この状態を悟られるのが怖くて、
訪問することも出来ず、ヘルパーさんに指示を出し、
じいたんとの会話は、毎日の電話でしのぐ日々が続きました。


相方=ばうが、心配して、
食べられないわたしに食事を作り、風呂に入れてくれて、
サポートをしてくれていることについても
罪悪感ばかりが募り、

取り繕って笑うことも、辛くなりました。


気分を変えようと、囲碁を学んでみたり、
将来の夢を再確認して、独りの時間に勉強をしたり

そして、少しでも眠いときは眠って、

SNSの日記(ブログより気軽に書ける)に、一日一回、
短い日記をつけて、自分を保っていました。


それでも、その「想念」は消えない。


気が付くと、

一番迷惑をかけない死に方を、
真剣に検討している自分が、いました。

夜になると、気分がすこしましになるので
表へ、出るのですが

ぼんやりと「事故死ならみんな、諦めてくれるだろうか」
そんな、不埒千万な考えが浮かびます。

一番費用のかからない自死の方法を見つけて
行動に移そうとして
でも、片付けてくれる人のことを思い、思いとどまり…

そんな日が、続きました。



この「襲ってくる想念」が、
明らかに間違ったものである、ということは、
理性では十二分に理解できているのです。


「死」ほど周囲に打撃を与えるものは、ありません。
わたしは、先立たれる辛さを知っている人間です。

ましてや自死は、「自分以外の世界の全員を殺害する」
そういう行為だと、わたしは認識しています。
(自死をとげた人を、責めるような気持ちは持ったことはないですが…)

大切な人たちに、そんな思いを味わわせるなんて、絶対にいや。
生き延びて、皆を見送ることに耐えるほうが、百倍まし。



それでも、
生き延びることの大切さをこれだけ身をもって知り、
愛する人たちがたくさんいて
力をもらって、これだけ幸せであるにもかかわらず


その想念―死ななければという思い―を、
コントロールすることが難しい状態に陥りました。


察しのよい、大学時代の悪友が
ブログを読んで、「だいじょうぶ?」と電話をしてきてくれたり
やっと、関東に越してきて出来た優しい友に
愛をわけてもらったり
じいたんに、これだけの愛情をかけてもらっているのに

どうにも「その怖ろしい化け物」を除去することが、できないのです。

情けなくて、情けなくて、自分が、
でも何処かで「これは病気だ」とも判断していて、
かといって、メンタルクリニックを調べる気力もなくて





そんな矢先、かかっている整形外科の先生が、
何気ないそぶりで、
メンタルクリニックへの紹介状を書いてくださいました。

「一度行って、いやなら、やめてもいいから。
 僕に気遣いなく、とにかく、一度だけ
 お試しのつもりで行ってみて下さい。」


紹介状は普通、有料です。
でも先生は、紹介状の費用を請求なさいませんでした。

先生のお気持ちを裏切ってはいけない
それに、治るのなら治したい
その一心で、必死で、門をくぐりました。


いま、通い始めて一ヶ月ほどです。
抗うつ剤と、強めの睡眠薬を処方されています。


まだ、睡眠障害や身体症状はあまり改善されてはいないし
外へ出るのがおっくうだという気持ちは消えないけれど、

少なくとも、その
「怖ろしい考え」だけは、浮かばなくなってきました。


うつ病は、脳のなかの物質のバランスが崩れる病気です。
治療すれば、時間がかかっても、必ず、治る。

今は、早く以前のわたしに戻りたい、
という気持ちでいっぱいです。


ちくしょう、この程度のプレッシャーで
こんな病気になるなんて

自分のことが情けなくて、恥ずかしくて
消えてしまいたい、と思う


けど、逃げたくないから


「情けない自分」をも、ちゃんと、認めて
より円熟した人格を獲得したいから

そして、ありのままの自分を書き残すこと
それがたぶん
読者の皆様に対して、誠実であるということだと信じるので


そして愛する人たちを護れる、強いわたしになれるように
願いをこめて


カミング・アウトを、させていただきました。


身勝手は承知です。
でもどうか、どうかご寛恕くださいますよう、
平にお願いする次第です。


お見苦しい箇所もあったかと存じます。
最後までお目を通してくださって、ありがとうございます。


追伸:

一番怖ろしいところはもう、乗り越えたからこそ、
記事にしたので…ご報告をしたので、
ですので、どうぞご心配は、なさらないでください。
わたしはだいじょうぶです。

わたしは、もともと、楽天的な性格で、
人生を愛していて、
病気なんかに、負けるタマじゃないんです

林檎に託された想い。

2005-12-06 01:44:08 | じいたんばあたん
めまいと吐き気で伏せりがちなわたしに、
じいたんが、大量にりんごをくれた。

毎年、じいたんが取り寄せる、特別なりんご。
長野で作られる、「蜜入り」のふじりんご。


「一日一個の林檎で医者知らず、というよ、お前さん。
 おじいさんにしてあげられるのは、これくらいしかないけれど
 お前さん、早く良くなっておくれ」


わたしが動けないと察したじいたんは、
わたしの家に出向いて、その林檎を届けてくれようとしたのだ。


祖父母宅から私の家まで、距離はそう遠くない。
徒歩なら15分~20分くらいだ。
ただ、道がすこし複雑で、口で説明するのは難しい。


じいたんは、しっかりしている面も多分にあるのだが、
方向や空間の見当識は、著しく低下している。

じいたんは、タクシーを使ったのだが、
とうとうわたしの家にはたどり着けなかった。



そこで、じいたんは、考えた。


考えたすえ、

わたしの自宅の近くのお弁当屋さんに、
その、手提げ袋ふたつ分の林檎を預けた。

そして、
近所の奥さんと一緒に取りに行くよう、
わたしに電話をくれたのだった。



体調が落ち着いてから、あわてて取りにゆき、
お弁当屋さんに、お礼を言った。

お弁当屋さんは、
「とんでもない、いいんですよ。素敵なおじいさまですね」
と言ってくださった。

三つほどおすそ分けして、食べられもしない弁当を買い、
自宅へ戻った。



帰り道、手に提げていても立ち上ってくる、甘い匂い。
さっそく一つ、切ってみたら、中にはたっぷりの蜜。


子供の頃から変わらぬ味、…じいたんからの贈り物。


もう、92歳なのに、
こんな寒い、寒い季節なのに

風邪を引いて肺炎にでもなったら、
それだけでもう命取り、そんな身体なのに

自分より、わたしの心配をしてくれる、じいたんの気持ち。

そして、まるで種子を護るかのように、
蜜がたっぷり入っている、林檎。



台所に立ったまま、ひとくち、かじった。


…涙が出た。