じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

行く年への感謝をこめて。

2005-12-31 23:55:59 | お知らせ
相方「ばう」の勧めで書き始めたこのブログ、
「じいたんばあたん観察記」
始めたのは、四月の終わりのことでした。

それまでの間、仕事と介護一辺倒に近かったわたしの世界は、
このブログを書くことで、急速に広がってゆきました。


記事を書き続けたからこそ得られたご縁と、
みなさまとの貴重なコミュニケーションの中で、

介護人として、30代社会人として、女性として、

・・・さまざまな角度から、

命とは何か、尊厳とは何か、
わたしが人生の中で目指したい場所はどこか、

改めて考え、見つめなおす機会を得ることができました。



あと5分ほどで、新しい年がやってきます。


今、わたしは祖父の家で、じいたんと相方「ばう」と三人、
お茶と果物とお菓子をつまんでいて、

彼らの横顔を眺めながら
静かに年を越せる幸せを噛み締めています。


ブログをはじめる前の二年も怒涛の日々でしたが

六月以降どんどん厳しくなっていった状況を
何とか乗り切ることができたのも、

ブログで交流をくださる、
あるいはそっと見守ってくださっている
あなたさまの、お力添えあってのことでございます。


心より深く深く、御礼を申し上げます。


来年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
どうぞみなさま、良いお年をお迎えくださいませ。


愛をこめて 介護人たまより


追伸:
頂いたコメントは、ひとつひとつ大切に、
何度も、かみしめて、読ませていただいております。
なかなか返信ができない状態ですが、何卒ご寛恕くださいませ。

それから…書き溜めていた記事を一気にUPしました。
時系列にある程度忠実に、掲載しています。
もしよろしかったら、ごらんになっていただけるとうれしいです。
味わい深い年末を、過ごしておりました。

天国からのラブレター。

2005-12-31 10:23:35 | 自分のこと
数日前に、夢を見た。

人生の節目に見る、重要な夢だと直観した。


年末のご挨拶に代えて、皆さまへ、届けます。

親である人、まだ子供の立場の人、みんなに読んで欲しいです。


***********


場面は、妹の結婚式の、当日の朝。
(実際に、妹は1/8に結婚する)


先に妹を式場に送り出し、わたしは必死で花を生けている。
(ブーケを作り、家中を花だらけにしている)

わたしの身支度は半分程度、済んでいる。
化粧が、まだだ。



ふと、母が、まだ眠っていることに気づく。

わたしは、何度か彼女を起こそうとする。
でも母は
「もう少し、眠らせて…」と、起きる気配がない。

仕事三昧で疲れているのだろうから
着物の用意だけして、
ギリギリまで寝かせてやろう、と思う。
多少、いらいらしながら。



そのうち、何故か来賓が家に、次々と押し寄せてくる。
会場に行くはずの客が、続々と。

散らかった室内を慌てて片付けながら
コーヒーを出し続け、
合い間に、母に目覚めるように促す。

それでも彼女は、まるで睡眠薬でも効いているかのように
目覚めようとしない。


客の接待を続けながら、私は半分やけになって、
使えない花を処分しようと手にする。
心の中で「本当にこれは処分していいの?」と問いながら。

そのとき、

母の隣の布団に、父が眠っているのに気づいた。
彼は夢の中でも病気がちだ。


父に問う。
「ねえ、お母さんが起きてくれないの。どうしたらいい?」

父は答える。
「お母さんの好きにさせてあげなさい。
 君は、だいじょうぶ。」

少しばかり、意味がわからないまま、
わたしは父の助言に従って、
母に声を掛けながら、客の接待をし続ける。



結婚式の時間が近づいている。
どうしよう。どうしよう。間に合わないわけにはいかない。
お客様も、式場につれていかないと。


たまりかねて、呆然と花を握るわたしに、父が言う。

「たま。自分を信じなさい。
 僕は、たまがもう一人前の女性だと知っている。」

そういったあと、父は、極上の笑みをわたしに返し、
とても満足げに目を閉じる。


不意に、


現実では、父が既に亡くなっていることを思い出す。

ああ、これは夢なのだ、と悟る。
でも信じられない。

たった今、あんなに大事な言葉を投げてくれたばかりだというのに。


・・・父にそっと、近づく。


穏やかな表情。だけど、…息をしていない。

「ああ、そうだ。お父さんは、…」

わたしは、彼の死を改めて確かめようと、父の頬に手を伸ばす。


頬に触れられる、まさにその瞬間、


目が覚めた。


************


目覚めて、しばし呆然と、半身を起こしていた。


そして突然、気づく。


この夢は、

今、決断につぐ決断、厳しい状況のなかで
迷いと悩みのさなかにいるわたしを、
自然に助けるために、現れた、メッセージだ。


父が…わたしの中で生きている父が、
…そして、彼を抱き続ける、心の奥のわたしが、

わたしへと、届けてくれたラブレターだったのだ、と。

父の形見―自分の身体―を抱きしめて、慟哭。



  現実の母は、人間として魅力ある女性だ。ただ、
  「母親」という役割にはあまり向いていない人。
  夢に出てきたとおり。

  だけど、そんなことに、捕まらなくていいのだ、もう。
  あるがままの彼女を、あるがまま愛し続ければいい。

  そしてわたしは、何も心配しなくていいのだ。
  自分の女性性にも、母性にも。

  わたしは、自立を果たしたのだ。
  そう、改めて、自覚してもいいのだ。


わたしは、自分を、認め、赦していいのだ。


お父さん。天国にいる、お父さん。

思春期にあなたを喪ってから、

さんざんわたし、迷走してきた。
お父さんを泣かせるような回り道も、してきた。


だけど、あなたの愛は、こんなにも深い。
そしてそれは、今でも、変わることなく生きているのだ。

たとえ、この世の人でなくなっても、わたしの中で。



ありがとう。ありがとう。ありがとう。


あなたの娘に生まれたこと、
育ててくれたこと、

こころから、感謝します。


***********


ブログでめぐり合えた、沢山の読者様へ

両手いっぱいの、愛と感謝をこめて

2005年、大晦日に記す。