じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

じいたんと囲碁とわたし。

2005-10-30 23:27:43 | じいたんばあたん
幼いころ、ひとつだけ、どうしても
父に仕込んでもらえなかった「遊び」が、ひとつだけある。

それは、囲碁だ。

小学校に上がったばかりのわたしに
「ナポレオン」というトランプのゲームを仕込むほど、
興味を示したことはたいてい教えてくれた父。

学生さんが頻繁に出入りする環境だったこともあり、
ゲームは何でも…それこそ
花札も将棋も麻雀も(麻雀だけはよく覚えていない)
ねだれば教えてもらえ、たまには相手もしてもらえたのだが
何故か囲碁だけは、絶対に教えてくれなかった。

じいたんと父が、会うたび徹夜で囲碁を打っては
二人で盛り上がっている様子が
子供心に、うらやましくてならなかった。
ルールがわからないのが、悔しかった。


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じいたんの体調は今、絶好調に近い。
だから、介護というほどのことは、肉体的には必要がない。

もちろん、
場所・時間・空間の見当識や
たくさんの情報を総合して判断を下す能力には
低下が見られるので、
遠くへの外出…例えば、ばあたんの見舞いなど…は
口実を作って付き添うようにしているが、

じいたんが一人で出来そうなことは、
(介護者としては、危ないと思っても)
多少のことでは手を出さないようにしている。

ちょっとぐうたらすぎなんじゃないか、と
自分で思うくらい…
(一応、医師から「休め」とお墨付きをもらっているので
 だいじょうぶかな、とびくびくしながらなのであるが)

タオルの一本さえ、
じいたんの好きなように管理してもらう。


ただ、そうなってくると
…正直なところ、じいたんの家にいる時間をもてあます
そんな側面が出てきてしまう。

じいたんは、気が向かないと、おしゃべりはしない人だ。
だから、わたしは「話し相手」としてすら機能しない。

側にいてくれればそれで満足な人なのだと
わかっていても、

じいたんは書斎にこもりきり
わたしは多少の家事が終われば読書かPC
(正直なところ、体調がなかなか良くならない)

じいたんが書斎から出てきたところで、
いま、介護以外の悩みもいくつか持っているわたしは
話題にさえ自信が持てない。
自分の口が、ヘンなことを言わないか、怖い。
いい介護者じゃない。


「役立たずな自分」に、自己嫌悪が募る。


かといって、わたしが暗い顔をして
じいたんに気を遣わせてしまうのでは、
介護者としても家族としても、辛い。
(ただでさえ、体調のことで心配をかけているのだ)

何か「楽しいこと」を一緒にできたほうがいい。
それも、「会話」ではない、「楽しめる共同作業」が。
わたしとじいたん二人きりでも、無理なく楽しく過ごせる
そんな、何かが必要だ。


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そんなふうに焦りを覚えていたある日、
ふと思いついたのが、囲碁を覚えることだった。