じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

じいたんがくれた、心のボーナスに泣く。

2005-10-08 06:14:05 | じいたんばあたん
じいたんに、カンファレンスから家裁のことまで
事の顛末を、夜、報告した。

事務的なこと…今日のカンファレンスの内容はもちろん、
ばあたんに後見をつけなければならないだろう、という
新しい情報に加えて、

泣きわめいて、医者に食って掛かったことも、
伯父さんに、心のドスを突きつけたことも
(「いい年して、親の「大丈夫」に甘えんなや!」
 といった内容を怒鳴ったことも、父のことも)
家裁で、出しゃばってあれこれ、口出ししたことも、

全部、洗いざらい。


じいたんの代わりを、果たせなかった
という悔いで、とぼとぼ帰ってきたわたし。

それから、何より
じいたんの息子を傷つけたこと、嫌な思いをさせたこと
じいたんがどれだけ息子を大事に思っているか知っているのに


だから、謝りたかった。
じいたんの気持ちを改めて考えると
一瞬差した魔で、伯父の名誉を傷つけたこと、
取り返しがつかず、泣く資格もないのに泣きそうで。


でも。
すみませんでした、と土下座しようと思った瞬間、


じいたんの手が、わたしの肩をぽんぽん、叩いた。

「お前さん、良く言ってくれたね。
 それだけのことは、お前さんでなければ、言えないさ。」

わたしが、ぽかんとしていると、じいたんは続けた。

「おじいさんとおばあさんのために、
 お前さんは、恥も外聞もかき捨てて、
 お前さんの判断で、
 精一杯やってきてくれたんじゃないか。」

「なかなか、それだけ手厳しいことを、ずばりと
 目上の人に、率直に言うことは、できないものさ。

 おじいさんは、お前さんの、その性分を、
 とても気に入っているよ。

 …わしに、鬼のように怒るのは勘弁願いたいがね」

と、茶目っ気たっぷりに、満面の笑みで許してくれたのだ。


うおううおう、泣いてしまった。
じいたんの膝の上で。


大恩は謝せず。
…じいたんの愛情、一生忘れない。

カンファレンスで、壊れる。

2005-10-08 05:47:42 | 介護の周辺
カンファレンスの席で、爆発してしまった。


精神科医・内科医・看護師長・心理士・作業療法士

そして、伯父。



精神科医に食って掛かった。

伯父を罵倒した。

ふざけんなお前ら、と泣き喚いた。


もちろん、そんなことをするつもりで、
その席に臨んだわけではなかった。

そういう事態を避けたかったから、
昨日の記事を「保険」として、書き残したのだ。


でも、どうやら わたしはもう、
いっぱいいっぱいだったらしい。
(器、小さいしな…orz)



悔しかった。何もかもが悔しかった。

ばあたんの今の、病状も、
その説明のいいかげんさも
(精神科医は、いくつか重要な点を省いた。
 ちくしょう、素人だから適当に言っとけなんて思うなよ。
 もちろん、こういう事態に備えての準備を
 しておかなかった、自分が、一番腹立たしい訳だけど)

自分の健康がなかなか戻らないことも、
わたしの言葉も行為も 何の意味も持たないことも。


もともと、そうでなくても
担当の精神科医を、誠実でないと感じる場面が、
それまでに何度かあったのに、

わたしはそのことについて、
担当の精神科医に、直接問う機会を持てなかった。
(敢えて控えていた、といった部分もある)


そして、その医師がいうことは
いかにも鵜呑みにしている(ように見える)
伯父の態度も、そのときには許しがたく思えた。


「わたしの話は、真剣に訴えても
    話半分にしかいつも聞かないくせに」


そう思った瞬間、ぷつんと何かが切れる音がした。



いいや、この人と絶縁したって。
 (↑ホントは当然駄目に決まってる)
最悪、わたし一人でも何とかするし。
 (↑そんなことは、じいたん達は多分望んでいない)
そして・・・父が病床にあったとき
わたしが 妹が 母が 本当に苦しんでいたとき
この人が何をしてくれたというのだ。


・・・悪魔のささやきに、わたしは負けた。


負けて、

わたしは、普段なら絶対口にしないであろうことを
伯父に口走った。
スタッフの面前で。

しかもそのうちのひとつは、
わたしの誤解に基づくものだった(らしい)。

もしそれが本当ならば
(伯父はこういうことでは嘘はつかない、と思う。)
伯父の名誉を、著しく傷つけたことになる。

口から出た言葉は二度と取り返しがつかない。



**************


カンファレンスが終わった後、

伯父が努めて冷静に

「とても傷ついたよ。
 たまの言ったことは事実ではないよ」

と伝えてくれたときも

謝らなければと思う心は置いてきぼりで、

腹の底から勝手に声が絞り出された。


「こうでもしなきゃ分からないでしょう。どれだけ痛いか。
 身をもって、感じて、分かれば?」


***********


今日のわたしは、最低だったと思う。

そして、いい機会だったとも思う。

改めて、確認できたのだから。
逃げるわけにはいかない、自分の心の現実を。


じいたんばあたんのために、とうそぶいて
ごまかしてしまうつもりだった
自分の感情を。

(…嘘から出る誠、なんて棚ぼたを
      期待してはいけなかったのだ)



伯父を、信じ切れていない、わたしがいる。

しかも、それは、根本的な問題ではない。

結局のところそれは、わたし自身の問題なのだ。
わたしは多分、わたし自身のことを、
信頼しきれてはいないのだ。



祖父と祖母との生活の中で、
信じるというこころを手に入れた

そう思っていた。

(というよりむしろ、裏切られてもそれは裏切りではない、
 そんな感覚に近いかもしれない)


だけどそれは 「祖父母限定」の未完成品だったのだ。

他の親戚には応用不可の、
ちゃちで、バグだらけのココロだったのだ。



*************


正確には二度目の発病以降、
一度もまともに、父を見舞ってくれたことがなかった
と思っていた伯父が、

わたしの知らないところで
父の見舞いに、月一回行ってくれていたこと。

 (正直、事実かどうかは、わからない。
  月一回、は不可能に近い数字だ。

  母にも妹にも知らせないで見舞っていたそうだ。
  伯父は、こういう嘘をつく人ではない、と思う)


・・・何故その時に伝えてくれなかったの。
今更訊いて、私達の二十年近くに渡る苦しみが
どうにかなるとでもいうの。

 (本当なら、その時に、知っておきたかった。
  思春期の私と妹の苦しみがどれほどだったか
  …母の苦しみがどれほどだったか)



「別に、自分に恥じる所さえなければいい。
 人に言うことでもない。」


帰りのバスの中、
カンファレンスでの非礼を詫びるわたしに
伯父は言った。

穏やかな笑顔だった。
本当に、そう思っているのだろう。

だけどそういう聖人のような考え方には
落とし穴がある。

そういう、一見美しいともみえる態度が
結果的にコミュニケーション不足になって、
他の人の心に、鬼を育てることだってあるんだよ。
どうして、ちゃんと声をかけてくれなかったの

そういった旨のことを、伯父に言った気がする。



そこまでは話したけど、

自分の「ごめんなさい」だけ言って、自分だけ楽になって、
もう一つの本音は、結局、飲み込んだ。

(この本音が、適切でない感情だったとしても、
 本当は多分、訊ねてみるべきだったのかもしれない。
 でも、それは後で、感じたことで、補うことにした。
 これはごまかしではないよね?と心に問いながら)


***************


それでも、伯父は寛大な態度でいてくれた。

あれだけ激しいことをしでかして、
病院を出た後、

家庭裁判所まで、成年後見の相談に行くのに
ついていくことを、私に許したのだから。

 (駄目といわれても もちろん
  引き下がるつもりはなかったけれど。

  伯父が知らない情報を、わたしは持っている。

  それに、こういう作業を「一緒に」することが、
  大切なのだ。今の、段階では、多分。)


*************


バスの中で不意に、伯父が言った。

「いつも○○(私の父)と話しているよ」

いぶかしんでわたしが、伯父を見ると

「○○だったら何て言うかな、って考えながら…
 ○○と相談しながら、やっているよ」


そういう伯父の顔は、やはり、穏やかで。
とても優しい顔のように見えた。


不意に、

まだ小さかった頃、
わたしを膝に抱き上げて笑った伯父の顔を
思い出した。


それは 過去のこと。
その記憶を 信じて よいの?
それとも?

年齢が若造だ、ということを理由にしたくない。
わたしという人間の人格が、単純に、未熟なのだ。


*************


家庭裁判所を出た後、喫茶店で
わたしと話をする伯父が

リラックスしたふりをして、でも実は
最上級に濃やかな気遣いをして、
ざっくばらんな空気を作ってくれているのを感じた。

まるで、
年頃の自分の娘(彼には息子しかいない)と
どう話したらいいのかわからない、といった、
良く見かける、父親のようだった。

わたしは楽だったけれど
・・・申し訳ない気持ちになった。


**************


ねえ伯父さん、わたしね
伯父さんに腹を立てるのも
伯父さんを大好きなのも

どっちのこころも わたしのこころだよ。


カンファレンスで泣き喚いたわたしも
きっつい言葉を浴びせたわたしも

別れ際、伯父さんともう少し一緒にいたくて
電車から降りられなかったわたしも、

言い損ねたありがとうを
腕に込めて
手を振り続けてしまったわたしも、

ほんとうのわたしなの。


だけど、わたしは、あまりに色んなものを
切り捨てて、切り捨てて、生きてきた。

伯父さんと過ごしておくべきだった、
過去のいくつかの時間も含めて。


ごめんね。こんなんで。


明日もし、あたしが事故で死んじゃって、
伯父さんに「ごめんね」を伝え損なったら
絶対に絶対に後悔するから、

ここに 書き残しておくね。


追伸:
誰か、教えてください。わたし、わからない。

家庭裁判所に同行したい、と申し出たわたしに、

「別にも構わんよ。たまさえ嫌じゃなかったら」

と伯父は答えた。
なんでそんなふうに、伯父は言ったんだろう?

(冗談抜きで、わからないのだ。
 こういうことって、たぶん、他の人が見たら
 きっと、火を見るより明らかなんだろうに)