じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

すべては相対的な。

2006-07-06 08:24:47 | Weblog
5月のある日のメモ。

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どんなことも、見方を変えてみれば

それは必然だった、としか
いいようがない

そういうものなのかもしれない。


たとえば
わたしたちにとって、ばあたんの行動や言葉が理解を超えるものであっても、
ばあたんにしてみれば、彼女の行動は常に合理的であるように。


「正常」という、何かを判断するにあたっての枠組み、あるいは軸足。

この枠付けは、所詮、相対的なものでしかないということ
この軸が足を下ろしているのは「暫定的な場所」でしかないということを
常に、頭の隅に置いておける自分でいたい。


暫定的な、相対的な判断基準というのは
日常生活の、あらかたの場面では役に立つ。

だが、すべての場面で有用なわけではない。
とりわけ、誰も悪くないのに悲しいことが起こったときには。

死も病も、現象としてはただの「自然」である。それ以上でもなければそれ以下でもない。
そして、こんなに不自由になっても、今、彼女は生きている。
この現実がすべてだ。


今更ながらそんなことを思った、
祖母と過ごす午後。

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2 コメント

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Unknown (さだえchanの孫)
2006-07-07 00:35:08
「カステラ」…きっと心揺さぶるお味やったことでしょうネ。

(少しばかり塩テイスト…)





わが身や、身の回りの人に起こるいろいろを…

否定したり、あがくのではなく

「現実」として真摯に受け止める。勇気が必要な時もあるけど…、

たまさんのばあたんが、どんなに様子が変わっても、

それはその時の等身大の姿なんだから…。

そう思うと…愛しいのでしょうね…。



私のさだえchan(祖母)や、

4~5年前に事故で一旦 心肺停止し、蘇生した母が

目を疑うような姿になっていた時…、

それを「現実」だと受け止めるのに苦しんだんです…私…;



でも…全てを受け入れた時、すごくパワーが…。



話が4日の分と6日の分と アチコチしますが…、

たまさんが落ち込む姿を見られて、

じいたんはお店で一生懸命たまさんのことを思って

「おまえさんが元気になるカステラ」をお選びになったのですね。



じいたんの思いが…

4日にあった、落ち込む出来事から…きっと…たまさんを…。



∧ ∧

^ ^

( (||) )M

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介護人たま (さだえchanの孫さん)
2006-07-08 07:21:56
そうですね。不思議なんですが、祖母に対してはそういう、祖母の変わった行動(あるいは口からこばれる単語)を見ると、奥のほうに隠された気持ちがとてもはっきりと見えるんです。衰えても、それは変わりなくて… うちの祖母だからかもしれません。



一切れ100円のカステラだったけど、じいが一所懸命選んでくれたということがすごく嬉しかったんです。前からそういう思いやりはある人だったけれど、わたしにそういう部分を発揮してくれるようになったのは、実は、つい最近なんですよ^^
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