第65話 認めるところから

2005年05月03日 12時53分13秒 | Weblog

ひたむきに仕事をしている時は、下向きなのでまわりが見えませんが、
2・3ヶ月、2・3年、
1周して少し余裕が生まれ、ふっと顔をあげた頃に見えてくるような気がします。
石の上にも3年の社会人のみなさま いかがお過ごしですか?

「働く、お給料をいただく」を幾久しく繰り返し、ふと思うことがあります。
コピーをとる時失敗し、紙を無駄にしたことがあります。
給仕室でうっかり手がすべらせ、お茶碗を割ったことがあります。
それでも私は職場に対して弁償金など支払ったことはありませんし…
私はいただくばかりです。採用通知をいただいたあの時より、
私という人間を会社が信頼して下さっているんだなと思え、感謝しています。

執着しすぎてはいないだろうかと、ふと思うことがあります。
就職難でしたから、ここしか!と気負いすぎていたような気がします。
私には名もなければ、決定権もありません。そんなことも関係なく、
明日私がいなくなったとしても、会社はなんとかなるものです。
この事に気づいたのは、私にはプラスでした。執着しすぎず、
誰にでもできることを、私らしく仕上げていこうと。楽になりました。
何年か後、誰かがその資料を手にした時、わかりやすければいいなと思いながら。
私という人間はいつも誰かを思い、ひきつぎに改善を考えながら楽しんでいます。

難しいとかしがらみだとか言われますが、ふと思うことがあります。
公的な職場にも、私的な好き嫌いや嫉妬が絡みあっているのではないかと。
仕事もやはり人と人との関係性ではないかと。
そこにある人の心を見ると、世の中がシンプルに思えてきます。
私という人間は存在を認めてほしいと愛を乞います。そんな自分を認めました。

働く中で、私は私という人間を思い、知りながら、人を生きています。


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