命ある限り、一心に(和菓子isshin・濱田一信)

2023年09月16日 10時00分00秒 | 創る(フィクション・ノンフィクション)

命ある限り!

一生わらび餅職人・濱田一信

 

今回、インタビューさせていただきましたのは、

和菓子isshin(いっしん・大阪市中央区北久宝寺町1-2-14)店主、

濱田一信さん。 唯一を信じる と書いて、一信さん。

店の名は、ご本名である「一信」から「isshin(いっしん)」と命名。

 

濱田さんの一日は、開店前の仕込みから始まる。

11時 開店後、昼食を食べることなく、食事は一日一回。

閉店後も 3時間の仕込みを終えてから 帰宅。

定休日である日曜日と月曜日も 仕込みと経営業務をこなし、

一年365日、わらび餅と向き合っている。

 

一心に、

祈りを込めて

 

時はさかのぼり、濱田さんが京都の老舗和菓子店で修業時代。

濱田さんは、上生菓子の展覧会(個展)で 手作りのわらび餅を振る舞っていた。

「お客様に 何も食べられない時も

僕(濱田さん)のわらび餅だけは食べることができる

と言ってくださる おばあさんがいて・・・」

2011年3月11日(東日本)大震災 翌日の個展では

わらび餅を振る舞わず、展覧会(個展)を見てもらうだけにした

のだが、そこにおばあさんのご親族がお越しになり、

『わらび餅を食べてくれたお母ちゃんが亡くなったから、

今日は仏さんにお供えしようと思って。今までありがとう』

と言って、泣いて喜んでくださった。

その時 感じた「人が求めているのに、なぜ作らなかったのか」の後悔、

「いつまで生きられるか、わからないからこそ」の決意。

震災へのどうしようもない気持ちと自分のわらび餅が「人のためになるなら!」と独立。

同年2011年12月7日に和菓子isshinオープン、今年12年目を迎える。

 

これからも

信念を貫き、作り続けていく 

 

濱田さんの「オリジナル黄金レシピ(私の勝手な命名)」への道のり を問いますと、

「僕にとっては、美味しいと思うものを作るのは 当たり前の話で、

費やした時間や年数は関係ない。要は、人が美味しいと思うかどうか。

味覚や流行は変わっていく。時代の流れが影響するので

レシピが完成することはない。

ずっと同じ、を貫いていてもダメ。 天候も温度も、水の温度も違うからこそ

毎日食べて 変化(進化)し続けなければならない」とのお言葉。

 

今現在、店をひとりで切り盛りしている濱田さんは続ける。

「ひとりだから、ひとりでできることを考え、死ぬまで わらび餅を作り続けたい。

自分と共感できる人や協力者がいるなら ひとりでも多くの方に食べてもらいたい。

生きている間に。人のために、自分ができることをしたい。

そのために、自分は人として この世に生まれてきたのだ」と。

そんな濱田さんの幸せを感じる瞬間は、一日の終わりに

その日、ご飯を食べさせて頂けるという感謝。安心感だと言う。

 

感謝、優しさ、思いやり

想いの強さをつめこんで

 

濱田さんが嫌うのは、自分が作った和菓子を捨てること。

「雨の日も 嵐の日も 雪の日も 人に求められるお菓子を作りたい」

インスタグラムでは、

クセ強独り身店主が営むわらび餅専門店 と紹介されていますが、

クセではなく、想いが強い職人さん。

濱田一信さんは その名の通り、

命ある限り 信念を貫き続けている わらび餅職人 でした。

 

そんな濱田さんに私がキャッチコピーをつけるなら・・・

 

命ある限り! 一心に。

一生わらび餅職人・濱田一信

 

です。

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