読む、話す、聴く、書くは言語を学ぶ上でそれも大切なこととはよく言われる。最近どっかで読んだけど、ある言語に完全に浸り学ぶ(何もかもがその言語によって行われる環境に身を置き学ぶということだと理解した。)のは確かに、週に何度かクラスルームで学ぶよりも上達のスピードは速いらしい。まあ、当然といえば当然だろう。でも、その記事曰く、その学び方にはそれなりの代償があるとのことでそれは、母国語へのアクセスを低下させるとのこと。詳しくPsychological Scienceジャーナルに掲載とあった。当然読んでいないのでそれ以上分からない。それはあるなと感じた。前のポスト参照。
また記事によると、最近の調査ではバイリンガル、もしくは別の言語を習得中の人が読み、聴き、話すときいずれの言語もアクティブな状態であり、正しい言葉を正しい場面で使用するために常に、認知問題と格闘しているとのこと。これはよくわからない。どっちの言語で、混乱という過程はずいぶん前に過ぎ去った気がする。それに、自分の場合、言えないことはいずれの言語でも言えない。
英語を学ぶ上でおろそかにしていることひとつある。また、向上させるよう努力する気もない。それはスペルを覚えるということで、これに関しては全く適当で、僕のスペル力は最低である。いまだにneighbourhood, foreignerなどいつも間違える。ワードで書くとスペル間違いだらけで文は下線に染まる。さすがに、そのままメールで送ったりなどはしないし、そのためのスペルチェック機能である。
ペンで手紙を書くことがないいま、スペルが正しいかは気にしていられない。もしろん、知っていたほうがいいのは当然だけど、手書きの日記やメモは自分がわかればいいと思っている。僕の字は汚すぎる。福岡で学生時代、友人に小学校から高校まで剣道とともに習字、毛筆をやっている奴がいた。彼はすでに守破離の離の粋に達しているのか自分で勝手に微妙に字を変形させていた。その達筆ぶりは恐ろしいほどだった。そういうのは手紙を書くときに得だなと思った。
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また記事によると、最近の調査ではバイリンガル、もしくは別の言語を習得中の人が読み、聴き、話すときいずれの言語もアクティブな状態であり、正しい言葉を正しい場面で使用するために常に、認知問題と格闘しているとのこと。これはよくわからない。どっちの言語で、混乱という過程はずいぶん前に過ぎ去った気がする。それに、自分の場合、言えないことはいずれの言語でも言えない。
英語を学ぶ上でおろそかにしていることひとつある。また、向上させるよう努力する気もない。それはスペルを覚えるということで、これに関しては全く適当で、僕のスペル力は最低である。いまだにneighbourhood, foreignerなどいつも間違える。ワードで書くとスペル間違いだらけで文は下線に染まる。さすがに、そのままメールで送ったりなどはしないし、そのためのスペルチェック機能である。
ペンで手紙を書くことがないいま、スペルが正しいかは気にしていられない。もしろん、知っていたほうがいいのは当然だけど、手書きの日記やメモは自分がわかればいいと思っている。僕の字は汚すぎる。福岡で学生時代、友人に小学校から高校まで剣道とともに習字、毛筆をやっている奴がいた。彼はすでに守破離の離の粋に達しているのか自分で勝手に微妙に字を変形させていた。その達筆ぶりは恐ろしいほどだった。そういうのは手紙を書くときに得だなと思った。
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