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トリスタン・ダ・クーニャ

2011-03-16 13:53:00 | ケープタウン

先月、10月に自分がコーディネーターとしてお手伝いさせていただいたドキュメンタリーがNHKで放送されたようである。DVDをいただいたので見たが、も うずいぶん昔のように感慨深かった。船で7泊してたどり着いた島はトリスタン・ダ・クーニャと呼ばれ外イギリス領で、ケープタウンから2800キロほど、 南米から3300キロほどで大西洋のど真ん中にあり、世界で最も孤立した有人島としてギネスブックに載っているらしい。標高2000強。頂上には常に雪が積もっている。トリスタンにはケープタウンからしかいけないし、トリスタンの人々もどこかへいく場合はまずケープタウンに来なければならない。

船は猛烈に揺れまくれ、毎日酔い止めをのみ、運動したくてもあまりの揺れにまともに歩けないし、まさに病院から出れない患者のように感じた。自分の 身長は決して高くはない。それでもベッドに足を伸ばせない。足をたたんだ状態でしか寝れない。といか、揺れがひどくて数分置きに目が覚めてはまたうとうと とするのである。30時間ぐらい船に乗ったことあるが、丸7日間陸を見なかったのははじめてである。運動不足と閉所で正直かなりめげた。島が近づくにつれ 船の周りを飛び交うカモメが増え、今だ島は見えなくても陸の近さを感じ、カモメにあんなに希望を感じさせられたのは始めてである。この恐ろしい荒波、冷た く暗い大海を2、3百年前に、帆船で妻、子供を乗せて挑んだ勇敢、もしくは蛮勇な冒険家には脱帽である。ほとんど自殺行為である。

船が豪華客船ではない。貨物船に乗せてもらうのである。船員はロシア、東欧からの人たちで英語全く通じず。しかも、降板長などと話そうとしても無愛 想でしかもこれが普通なのか怒鳴るような口調である。ポーランド人の船長は英語が話せフレンドリーでインタビューにも気軽のおおじてくれたが「ノープロブ レム」を連発していた。本当に大丈夫なのか。予定到着の時間を毎日のように聞いたが全部外れた。

やっと島に到着。でも、貨物船はでかすぎて島に横付けできないので沖合いに怒りを下ろし、島の人に漁船で迎えに来てもらうのである。貨物船から漁船 に乗り込むのが粗野な船員のおかげでどれだけ危険だったかは映像でしか説明できない。観光課のドーンが港で出迎えてくれた。監督、カメラマン、音声、文学 役者と自分の5人。90分フルのドキュメンタリだと普通最低2週間はほしいと監督は言われていたが次の船が出るのが1週間後でその船を逃すと次は2ヵ月 後。

島は火山の噴火でできたもので周囲のほとんどは崖でとても集落に向いているとはいえない。島自体は丸っこく直径が11キロと小さくはな い。自分の地元の島より一回り小さいくらいである。その過酷な火山島の一角にちょこっと見える緑で緩やかな傾斜のところに村はあり島の人々が暮らしてい る。村は500mx500mほど。島の全人口は260人程度で島から出たことがないというひともいる。学校ひとつ、病院ひとつ、警察官ひとり。

皆素朴で恥かしがりや純粋なのであ る。ドーンはイギリスで2年ほど働いておりとても頼りになった。ドーンがいなければ今回のドキュメンタリは全くもって無理だった。彼女は頼んだことは忘れ ずにやってくれるし、その後のフォローアップも忘れない。ケープタウンではほとんど見ることのできないことである。恥かしがりやな島の人をインタビューす るのが尋常ではないほど難しくドーンが頭を下げて何とかそれなりの数の人をインタビューできた。インタビューする自分はたまに素朴な村人をまるで尋問して いるような気がして心痛むこともあった。

スケール、文化は違えど島育ちの自分にとっては何かがダブって仕方なかった。この孤立した島で たくましく純粋に生きている姿に高潔さを感じた。これだけ孤立していれば汚染されることはないだろう。携帯電話もない。広告などは全くなし。マーケティン グなし。気を散らせるものは何もないのである。インターネットはあるが遅い。ヤフーを開いてメールをチェックするまでに20分かかった。テレビは10年前 に島に導入。しかも、衛生放送も見れるし、コメディ、ソープオペラなど見るとが楽しいという人もいるが、それでいてテレビはテレビであり、あまり外の世界 に興味を示さないというか、惑わされていないようなのである。学校は16歳で終わり、その後少年はほとんど猟師となる。漁にも同行したが厳しい。ロブス ターが豊富で外貨の多くがロブスター産業によるもので、日本、アメリカに輸出されている。ブリやカマスなど簡単に釣れる。少女らはお隣の島セント・ヘレナ (2000キロ北)、もしくはイギリスで高校に言ったりする。島の人々は皆イギリスのパスポートを持っているのでその気であればいつでもイギリスへすむこ とはできる。でも、イギリスに住むイギリス人が島にやって来て住みたいといっても無理なのである。

ロブスター会社に雇われている猟師でなは くても島の男性は皆猟師であり、皆が2つ以上の仕事を持っている。農業課、漁業課、財務課、機械課、環境保護などの公務に携わる人も多くいる。また、皆が 農場主であり、家族それぞれ、牛、羊を飼っている。遊牧地が限られているため一人何匹と決められている。また、家族それぞれ芋畑を持っており、先祖代々受 け継がれる。生まれたばかりの赤ちゃんが始めて所有するのはこの芋畑である。芋は島の人々にとって日本でいるお米のようなものであり主食である。朝、会社 に行って昼からは畑を耕したり、羊を追ったりする。機材があるので公務用の四駆を借りたが村内の制限速度は20キロなので3速に入れることはなかった。

トリスタンはイギリス政府から金銭的援助は受けていない。もちろん、港の建設などとなれば別だが生活援助などは一切受けていない。自給自足をとても誇りにしている。ロブスターでかなりの収益を受けているが、もしロブスターが取れなくなったとしても、彼らはその他の漁、遊牧、農業で問題なく生きていけるだろう。

学 校で12、13才の少女のクラスを見学した。少女らに将来何になりたいかと聞くと、獣医、環境保護、看護婦、財務課という答えが返ってきた。皆、島に直結 するものばかりである。獣医になるにしても、環境保護を勉強するにしてもケープタウンかロンドンに行かなければならない。でも皆が口を揃え島に戻ってくる と、ここで結婚して暮らしたいという。まだ、彼女らは12,13才なので将来の夢は変わるかもしれないだろうし、都会の生活にあこがれるかもしれない。そ れでも、ドーンを含め、他の多くの人がイギリスに住んだあとにもほとんどが島へほどってくるのである。その理由を聞いても彼女らにとっては質問が意味を成 さないようだった。「この島が私の故郷だから」と帰ってきた。「犯罪もないし平和に暮らせるわ。」と。

街に住むとコマーシャルから逃れられない。 そういった汚染はこの島にはまるでない。それゆけ彼らの生活は蒸留されており、彼らの生活の全ての面が貴重であり、意味があるのである。漁をするときには それに集中し釣った魚はそのまま今夜のおかずとなり、芋を耕し手を泥だらけにしては無意識に生を感じているはずである。家族に絆は強く、村人をはお互い助 け合い。少女らはさざなみのように微笑し、少年らはたくましく成長する。大人らは子供を信じ、見守る。島から出たいならそれもよし。

彼らの 純粋さ、ひたむきさ、高潔さ、暖かさに心打たれた。島も島の人とこの先ずっと変わらないだろうと確信できた。島にも戻る理由はわかる。自分の島でも高校終 了と同時にほぼ全員が島をでる。こんな田舎にいられないと。でも、数年後、10年後に島に戻って農業を始めたりする人は多くいる。それでも、大都会までは 船で2時間半でいつでも行きたいときにいける。での、トリスタンの島は刹那さを感じさせるほどに孤立している。なぜ、皆、島へ戻ってくるんだ!ほんの1週 間ではあるが島を体験しその答えはなんとなくわかる気がする。今度は個人的に行きたい。本当に行くかはわからない。あまりに遠く、しんどい船旅。でも、あ の島に1ヶ月も住むと帰ってきたくなくなるだろう。。旅なれたバックパッカーに比べたら自分の旅歴はたいしたものであはない。それでも、トリスタン・ダ・クーナに行ったことはとても誇りである。

ドーンは言った。

「観光客がたくさん来るとは期待していないわ。でも、こういったドキュメンタリで世界の人がトリスタンのことを知り、こういった島が大西洋のど真ん中にあり、人々が力強く生きているということを知ってもらうことはとても大切だわ。」

 

出港前、ケープタウン。テーブルマウンテン頂上。

ここに7泊。

これがほぼ毎日。

船長

イギリスから派遣されて島へ向かう環境保護者。

トリスタンの村

この船員はほとんど契約社員でこの島に来たことがある船員はすくなく勝手がわからなかったようで、しかも英語をあまり話さないので猟師とのコミュニケーションがうまくとれず、この籠は風に揺られまくりかなりスリルがあった。

漁がある日は朝6時ごろに鐘(空のガスボンベ)を打ち鳴らす。村中に響きわたり、今日は漁があるなとわかり、皆準備をする。少女たちが港へサンドイッチとコーヒーを届ける伝統がある。

猟師

村からポテト畑へと向かう道。朝早起きして何度か走った。5キロほどありバスが出ている。

牛移動。沖には僕らが乗って帰る貨物船が停泊。

朝礼

ランチタイム。少女らは年齢の近い少女らはおしゃべりしながら一緒に食事。また、年上の少年らは別のところでたむろし。子供らはサッカー。海に囲まれ、潮と芝を嗅ぎ、子供らの笑い声の中、あまりの平和な光景に時が止まった。

環境保護者になりたい。そしてトリスタンで野生生物の仕事をしたい。

看護婦が教師になりたい。おっきくなったらケープタウンにいってみたい。

財務局で働きたい。トリスタンに残りたい。イギリス、ケープタウンには行きたくない。ここで結婚したい。

僕らが貸しきった家。ご飯を作る暇がなかったのでおばあちゃんにご飯を持ってきてもらっていたが猛烈にうまかった。魚、ポテト、羊が最高だった。また、山から流れてくる水も最高。

火山の後から。1961年村のすぐ横で火山噴火。全村人がイギリスへ避難。2年後に投票を行い90%以上が島へ戻る案に投票し、村人は2回に分けて島へ戻った。

本当にいい警察官。

バー

貨物船には島人からの手紙なども詰まれる。郵便局にある締め切り間近のサイン。

出港を待っている間に釣った魚。うまい。

7日後ケープタウンへ。

最後に学校掲示板で見つけた子供たちの詩から。

 

-私たちの故郷-トリスタン・ダ・クーニャ-

私はトリスタンという島に住んでる。

とてもきれいなところ

山には鳥たちが

家には皆が

私と貴方を見守ってくれる。

殺人もないし、危険もない。

私たちはどこに行っても自由。

皆お互いを知っている。

だから問題なし

ほら、トリスタンでは私たちは本当に自由。



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ふみひこ)
2012-09-20 23:14:09
飯がうまいなんて・・・いいなぁ
滞在費はいかほどでしょう?
のんびりしたり探検したり
写真みながら想像しました
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Unknown (koji)
2012-09-28 18:36:41
トリスタン産のポテト、羊、魚は最高ですよ。シンプルな料理が猛烈においしいです。
ケープタウンからのみ行けます。年に貨物船、調査船が合わせて10回ほどでてます。調査船のほうがかなり居心地ましなようです。往復大体1000ドルほどです。往復で2週間かかりその間の食費、宿泊費込みと考えれば高くはないと思います。
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Unknown (れい)
2019-07-01 23:37:59
こんばんは。書き込み失礼します。
番組の再放送を録画して昨日見て島のことを知りたいと思って検索したらここに出会いました。
もう10年程前に行かれたのですね。夢を書いた女の子たちも素敵な女性に成長していることでしょう。
よほどの事がない限り訪れることもない島だけど、こんな遠いところに素晴らしい場所があるなんて知れただけで幸せな気持ちになれました。
私の行きたい場所の一つにブルートレインに乗ることとテーブルマウンテンがあります。お金と健康を貯蓄していつか尋ねてみたいものです。
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Unknown (cape_town)
2019-07-02 02:01:50
れいさん
ありがとうございます。この島と島人は本当にに純粋で美しいです。短いながらも訪れることができたことをとても嬉しく感じます。また行きたいのは山々ですか、行き帰り2週間の船旅は簡単ではないです。一度ドーンと家族がケープタウンに来た時に再会しました。
そうですね、もう10年以上です。少女たちはもう働いているでしょうね。それかイギリスかケープタウンで勉強しているでしょう。
テーブルマウンテンは簡単に登れますので是非来てください。
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