発見記録

フランスの歴史と文学

ボタン氏の紳士録

2007-04-28 20:05:59 | インポート

bottin 〔商標名〕 1 電話帳 2 ~ mondain 紳士録
(Le Dico 白水社)

―ユットは物思いに耽って髭を撫でていた。短いけれども頬を覆いつくしている胡麻塩髭。澄んだつぶらな瞳がぼんやり虚空を見つめている。デスクの左側に、執務中私が坐っていた柳細工の椅子。ユットの背後には、壁の半分を占めているくすんだ色の木の棚。そこにはありとあらゆる種類のこの五十年間のボタン紳士録や電話帳が並んでいた。ユットはしばしばそれをかけがえのない仕事道具だから、絶対手放さないつもりだと言っていた。それにこの紳士録や電話帳はまたとない貴重で感動的な蔵書となるものであって、なにしろその各頁には今はないずいぶん多くの人間や物や世界がリスト・アップされており、それについて証言するのはこれらの紳士録や電話帳だけだと言うのだ。(パトリック・モディアノ『暗いブティック通り』平岡篤頼訳 白水社)

 「セバスチァン・ボタン (1764-1853)の肖像」 ジャン=バティスト・ジョゼフ・ヴィカール

「紳士録」の開祖Sébastien Bottin は大革命以前には司祭であったが、革命政府に対する宣誓を行ない、次いで僧職を捨てた。帝政期には知事となる。統計学者でもあった。
1796年にLa Société de l’Almanach du Commerce創立。翌年からボタンの名を取った商業・産業名鑑が刊行された。彼の死後、事業はディドーDidot家が継承、1881年に株式会社Didot-Bottin設立。
この会社が越してきて1929年Beaune通りの一部がSébastien Bottin通りと改名された(
l’Université通りとガリマール社のあるSébastien Bottin通りの交差するところに、ボタンの業績を讃える浅浮き彫りがあるという)

?Le Bottin mondain?は1903年に創刊。12 000のパリの良家を網羅。電話帳をも兼ねていた。会員制で、定期的に会費を支払わないとリストから除かれる。加入は無料だが会員二名による推薦と身上確認が必要。

参照 Wikipédia 

Le Groupe Didot-Bottin http://www.didot-bottin.fr/
Le Bottin Mondain Web版 http://www.bottin-mondain.fr/

もとは商標名だが、?bottin?は今ではより一般的な名称として用いられている。しかしアカデミーの辞書(第9版)にはない。似た言葉?gotha ?(集合的に「名士たち」、ドイツのゴータで発行されていた貴族年鑑Almanach de Gothaにちなむ)は、この版で初めて採られた。

「ゴキブリホイホイ」など日本の例を考えていて見つけたのがサイト「賢い消費者のページ」の「一般名称と登録商標