発見記録

フランスの歴史と文学

パンと水だけで ユゴーの詩?Jeanne était au pain sec....?

2007-04-06 21:29:46 | インポート

?Mon coeur est saturé de plaisir quand j’ai du pain et de l’eau.?
パンと水があれば私の心は悦びに満たされる エピクロス (evene.fr)

Des enfants au pain et à l'eau pour ne pas avoir payé la cantine
学食費未払いの子供たちにはパンと水だけ
Libération.fr
マンシー(地図)という村の幼稚園でのこと。
保護者が前もってお金を納めなかったため4月2日、食堂での昼食時、3歳から6歳まで9人の子供がこの処置を受けた。
1993年にはサランシュ(地図)の小学校で同じような騒動が起きている(Le Web de l’Humanité : Des écoliers savoyards nourris au pain et à l’eau )こちらは長期滞納者への措置。村の責任者は滞納者の子供だけ運動場で遊ばせておくよりは、パンと水でも食べさせるほうがいいだろうという。よそのコミューンのように運動場で、云々から、稀な例ではないと思われる。
マンシーのパスカル・コフィネ村長にも言い分はある。業者委託なので昼食は48時間前に予約しなければならない。食物アレルギーの問題があり、適当に何か買ってきてあげることは「法的に」許されていなかった。(Les parents oublient la cantine : pain sec et eau pour les enfants Le Figaro.fr) 3日には、まだ支払いのすんでいない5人の子供には保護者会がお金を出しサンドイッチが提供された。

セゴレーヌ・ロワイヤル候補は憤りを表明した。

 「幼い子供が人質にされ、こんな心に傷を負わせるやりかたで扱われるのは現代では考えられないことです」 マダム・ロワイヤルは声明文でそう評した。
「子供は」と強調している、「決して自分には責任のない状況の犠牲にされてはなりません」「その場その場で人間的に対処し、子供が一人一人、共和国の学校で一番基本的な保護を受ける権利が再確認される」ように彼女は求めている。(Libréation.fr)

 ルーベンス『預言者エリアが天使からパンと水を受け取る』 

mettre qn au pain sec et l'eau 罰として、何もつけないパンと水だけを与えること。それが慣用句として成立するまでには長い歴史があっただろう。日本でも「水飲み百姓」というが「パンと水」はフランス人に貧困、欠乏、処罰、幽閉、前近代的・・・といった連想を誘うもののようだ。(Nippon.fr フランスパンは高級品 「パンを使った表現」を参照)

フランスにとどまるものではないかもしれない。
野生児カスパー・ハウザーは生後まもなく攫われ、地下牢のような場所に監禁され育った。

カスパーは、つねに、バターをつけないただのパンと水のほかは、すべての飲食物に対して大変な嫌悪の意志を示していた。私たちの通常の食物を、味わうことは言うまでもなく、その匂いをかいだだけで身ぶるいするか、もっと悪い結果となった。一滴のワインやコーヒーなどを、こっそり水にまぜて飲ませると、冷汗をかいて、吐き気をもよおし、はげしい頭痛をおこすのだった。(A・V・フォイエルバッハ『カスパー・ハウザー』西村克彦訳 福武文庫 p.50)

それは少年が文字通り「パンと水」しか与えられなかったことの証拠とされた。著者はカスパーの尿や唾液を分析すれば「科学的に重要な多くの成果が得られたはず」だと言う。

これほど恐ろしげな例でなくても、ヴィクトル・ユゴーは詩集『祖父たる術』L'art d'être grand-pèreで、孫娘ジャンヌのお仕置きを次のような詩 Jeanne était au pain sec... にしている。

ジャンヌは暗い小部屋にいた バターもつけてないパンは
何やら悪さをした罰だ、よくないことだが私は
反逆罪で追放された者に会いに行った
そして暗がりで、そっとジャムの壷を渡した
法を犯して。私の都市で社会の安全を支える者たちはみな
憤慨した、そしてジャンヌは小声で言った
「もう親指で鼻をいじらない
猫ちゃんに引っ掻かれたりしない」
しかし抗議の声が上がった、「この子はあなたをよく知っている
あなたがどんなに弱くてだらしがないか
人が怒っている時いつもあなたが笑うのをこの子は見ている。
これでは無政府状態だ。絶え間もなしに
あなたが秩序を乱す 権威が揺らぐ
規則がなくなる。子供を制止するものは何もない。
あなたはすべてを破壊する」 私はうなだれた。
そして言った、「いやはや 何とも答えようがない
私のせいだ。そうとも、こんな甘やかしが
いつの世にも民衆を破滅に導くのだ
お仕置きをしてくれ パンは何もつけないで」 「確かにあなたは責任がある 
お仕置きをいたしましょう。」 その時ジャンヌは暗い片隅で
そっと私に言った、見上げるその美しい目には
柔和な生き物の威厳を湛えて
「わたしがジャムを持って行ってあげる」

サルトルの自伝『言葉』で祖父シャルル・シュヴァイツェルは「怒りの神」エホヴァに喩えられる家父長的人物だが、年老いた今、孫には寛大である。

Si l'on m'eût mis au pain sec, il m'eût porté des confitures ; mais les deux femmes terrorisées se gardaient bien de m’y mettre.(?Les mots?, Folio, p.24)
もし私が何もつけないパンのお仕置きを受けたら、祖父はジャムを持ってきただろう。しかし二人の女(母と祖母)は恐れをなして、私を罰しようとしなかった。

「19世紀の人」シャルルはユゴーの読者であり、ユゴーを演じたがる人間だった。『言葉』には「間テクスト性」が随所に仕掛けられているらしいが、こうして運良く気づくこともある。