発見記録

フランスの歴史と文学

フランスの都市共同体 長い駅名ができたわけ

2007-04-03 07:18:30 | インポート

「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」 日本一長い駅名 4月にも変更へ 03/31 西日本新聞というニュースに始まり、例によってフランスについて調べてみた。長いコミューン名Saint-Rémy-en-Bouzemont-Saint-Genest-et-Issonはすぐにわかったが、フランスの駅名となると興味を持つ人がないのだろうか?一件だけ、TGVパリ=南東線の? Le Creusot - Montceau-les-Mines - Montchanin ?が最長だと、ベルギーの鉄道マニアの方がそう書かれている。Foudurail.net の?Histoire d’une passion. ? http://www.foudurail.net/passion.html

ル・クルーゾを初め16のコミューンから成る都市共同体La Communauté Urbaine Creusot Montceau(CUCM)が誕生したのは1970年。

1966年12月31日の法に基いて形成されたボルドー、リールなど4つを中央主導型とすれば、これに続く時期、コミューンの自発的参加によってダンケルクやシェルブール、ル・クルーゾ=モンソーなど5つの都市共同体が生まれた。(都市共同体の連合L’Association des Communautés urbaines de Franceのサイト、沿革による)

行政本部の置かれたル・クルーゾのLe Château de la Verrerieは王立のクリスタルガラス製造所から19世紀に鉄工場主シュネーデル兄弟の住まいとなった。
産業遺産として残された重さ100トンの蒸気鋳造ハンマー(写真・解説)の音は、10キロ四方に響いたという。一時は町名を「シュネーデルヴィル」にする話も出たほどで、ル・クルーゾは長い間シュネーデル社と鉄の町として知られた。総務部は炭鉱町だったモンソー=レ=ミーヌに置かれ、「双極型」bipolaireなのはCUCMの独自なところ。

CUCMのサイトhttp://www.cu-creusot-montceau.fr/main.aspxまた平成12年に岐阜県市町村職員研修センターの海外視察研修でこの地域を訪れたおおつかけんじ氏の「行政視察の報告」・「日記風道中記」第9日http://www.takenet.or.jp/~kenji/europe/を参考にさせていただいた。

「何もない野原」のようなところにTGVの停車駅ができた、これにはモンソー=レ=ミーヌの町長でCUCMの初代議長を務めたアンドレ・ジャロAndré Jarrot(1909-2000)の力が大きい。レジスタンスの闘士、ゴーリストで閣僚経験も持つジャロは、ジャック・ペリシエJacques Pélissier(1975年から81年までフランス国鉄総裁)の友人だった。(?Désert de Montchanin, deux minutes d'arrêt ! Dans le timide renouveau économique d'une région sinistrée la gare TGV, édifiée en rase campagne, a sans doute joué un rôle modeste? Le Monde 07.10.90)

「都市共同体」や小規模農村の「コミューン共同体」communauté des communesなど「広域行政組織」の仕組みが少しは理解できたのは最近読んだ『フランスの地方分権改革』(自治・分権ジャーナリストの会 日本評論社)のおかげ。

グルノーブル政治学院のピエール・クカウカ教授が「フランスでは合併は政治的なタブーになっている。その分、広域行政が発達した。ちょうどミルフィーユのように、何層にも重ね合わせてつくられている」と説明した。グルノーブル都市共同体のイサンドゥ町長も「ミルフィーユ状に権限がさまざまなレベルにあり、われわれにとってもすごく複雑でわかりにくいシステムだ」と実体験から語る。

教区を起源とするコミューンはフランス革命を生き延びた。フランス人はコミューンに強い愛着を持っている。そこで合併より「共同体」を選ぶことになるが、コミューン間の格差、利害対立という問題も生じる。「すべてのコミューンのメール〔長〕は、各コミューンのメールでありつづけようとするからだ」(サン・ポール・ド・バルス村のディアス村長)
(第2章「市町村合併より「共同体」を選択」 井田正夫氏)