フロランス・ドレーはネルヴァルをめぐる回想=エッセーを、こんなふうに書き出す。
On sonna à la porte. Il ne devait pas être tard puisque je ne dormais pas. J’allai ouvrir, j’aime toujours ouvrir. Un homme tremblant demandait le professeur Delay. Il n’est pas là, dis-je, mes parents sont sortis. L’homme hocha la tête puis la laissa tomber comme devant un grand malheur. Soudain désolée que mon père ne fût pas là, je le fis entrer. Il s’assit sur la banquette, sous le tableau de la dame à la rose. Aujourd’hui tout ça a disparu. (Florence Delay, Dit Nerval, Gallimard, 1999 )
ドアにベルの音がした。夜遅くではなかったはずだ、目を覚ましていたのだから。ドアを開けに行った、私はいつもドアを開けるのが好きだ。一人の男が震えながらドレー教授に面会を求めていた。いません、私は言った、父と母は出かけました。男はうなずき、次いで大きな不幸を前にしたように、がっくりとうなだれた。父がいないことが急に申し訳なく、私は男を中に入れた。彼は坐った、薔薇の貴婦人の絵の下の、長い腰掛けに。今はそれらすべてが消え去った。
フロランスの父ジャン・ドレーJean Delay(1907-1987)はパリのSainte-Anne病院に精神医学の講座を持つ。病院から逃げてきたと言う男は狂人に違いない。穏やかそうな様子に、彼女はそれほど恐怖を感じない。「それに幼い頃、私は病は治るものとひたすら信じていた」Et puis, petite, je ne croyais qu’aux guérisons.
男は教授に会いたいと訴える。
―Il faut absolument qu’il sache, qu’il ordonne d’arrêter les électrochocs, je deviens fou. Ils m’en ont fait…
Le mot ne m’était ni inconnu ni familer mais au pluriel, un tel pluriel, je le vis littéralement. L’inconnu qui tremblait avait reçu je ne me rappelle plus combien de chocs électriques dans la tête. La porte donnant sue le bureau de mon père était heureusement fermée : sur la cheminée, à côtè des photographies de Gide et de Renan, se trouvait celle du professeur Cerletti, l’inventeur.「どうしても先生には知っていただかないと、電気ショック療法をやめさせていただきたい、気が狂ってしまいます。あの人たちは私にそれを・・・」
私にとって未知でも、親しみがあるわけでもない言葉、しかし複数で、こういう複数形で用いられ、文字通りの衝撃的なイメージが浮かんだ。震えているその見知らぬ男は頭に、何度と言ったか覚えていないが、繰り返し電気ショック療法を受けたのだ。幸い父の書斎に通じるドアは閉まっていた―暖炉の上に、ジッドとルナンに並んで、発明者チェルレッテイ教授の写真があった。
ドレー『人間の精神生理』(三浦岱栄訳 文庫クセジュ1970 原題La psycho-physiologie)は第1章で精神生理学を「身体と精神とのあいだの関係を客観的に研究する学問」「身体―精神間と精神―身体間の相関関係および相互作用をしらべる科学」と規定する。それは心理学を生理学に、精神を生理に還元する思想的態度と見なされがちである。しかし「精神生理学はひとつの科学であって、哲学ではないのだ。それはいっさいの哲学的仮説を排除するものであるがゆえに、まさにそうであればこそ、いっさいの哲学と両立しうるのである」
精神生理学は方法として「内省」を排除しない。ドレーは心理学を「外部から観察できる運動、刺激とそれに対する反応の研究に制限しようとした」行動主義を批判する。
電気ショックに言及するのは第4章「精神心理学の実際的応用」の「Ⅲ 治療」―
臨床家は「身体療法と精神療法を甲乙のない技術によって駆使」せねばならない。進行麻痺や甲状腺不全による精神障害に対しては、心理療法をどれほど巧みに行なっても効果がない。ペニシリンや甲状腺エキスの投与だけが有効なのは証明されている。顔の腫れ(甲状腺不全)のような身体症状を伴うこれらの例と違い、純然たる精神症状に限られ、しかもショック療法が「奇跡的効果」を挙げることから「身体的に決定されていることが疑いの余地のないもの」がある。
精神的苦痛によって押しつぶされている、あの憂鬱病患者がそうである。夜も昼も絶望感にさいなまれ、過去の後悔と未来の不安のうちに、われとわが身をすりへらしてゆく憂鬱病患者は、過誤と処罰だけを望み、原始社会の人柱のように、共同社会のいっさいの罪を一身に引きうけて、これを贖うことを望んでいるようである。苦悶はいよいよ高まって死への願望となり、あるいはさらに、妄想が少しでもそこへ押しやるならば、自殺もまたあまりに甘いと考え、永遠の苦痛をうけることができるために、不死とならんことを願うにいたることさえある。しかるに、これらすべての幻想を離散させるのに、数回の電撃療法で事足りるのである。一般には第三回目から、多くともせいぜい第四回目から、精神的な風土が一変してしまう。苦痛は和らぎ、心は平和になり、苦悶はその束縛をとき、数回の施術の後で、感情的気分は正常となり、この感情障害の知的反映にすぎなかった妄想は消失する。悲劇的感情・後悔・恐怖・罪悪感・空想的犯罪などは、数回の電気痙攣の前に屈服したのである。・・・
邦訳『人間の精神生理』は1952年刊の訳書の改訂新版。原著は1945年(?)に出版され、その後増補改訂を経ている。
サンタンヌでは47年に「精神病と脳の臨床講義」の主任教授となり、神経生理学から精神分析、精神薬理学まであらゆる分野の専門家を擁するチームを築き上げた。52年にPierre Denikerと向精神薬クロールプロマジンの効果を報告するなど、現代精神薬理学の開拓者として知られる。
http://www.servier.com/pro/html_news_home/download/Delay/Delay.pdf
En mai 1968, les tenants de l'antipsychiatrie qui prône la séparation de la psychiatrie et de la neurologie, occupent son bureau. Amer, il démissionne discrètement de ses fonctions hospitalières pour revenir à son autre vocation, celle d’homme de lettres (il est l’auteur d’une biographie du romancier André Gide publiée en 1952). http://picardp1.ivry.cnrs.fr/Delay.html
1968年5月、精神医学と神経学の分離を唱える反精神医学の信奉者たちが研究室を占拠。苦い思いで、そっと病院関連の役職を退き、もう一つの天職である文学者に戻る(彼は1952年刊の作家ジッドの伝記の著者である)