発見記録

フランスの歴史と文学

デスマスクと無垢

2006-03-14 22:36:51 | インポート

ウードンによるルソーの胸像は、ルソー生前のものではない。ウードンが死の翌日に取ったデスマスクにもとづく(

デスマスク masque mortuaireの検索結果を一瞥、目にとまったのがMasque mortuaire, en cire, d'un bébé ケベックの文明博物館蔵、イタリアからの移民で教会の彫像を手がけたピエトロ・ドナティが1歳で亡くなった孫娘ユージェニー・べダールの髪と服を用いて制作した蝋製のもの。

あるいはパリで1878年に見つかった三~四世紀の石棺に納められていた、モルタルで形取った赤ん坊の顔() (カルナヴァレ美術館)

Penelope ジョシュア・レイノルズのペネローピ・ブースビー像(1788)を連想する。父ブルック・ブースビーはダービーシャーの地主。ルソーの英国滞在中スタッフォードシャー州リッチフィールドで彼をもてなした文学愛好者の一人。
1770年代後半パリを訪れた時ルソーから自伝の手稿を託された。ルソーの死後、『ルソー、ジャン・ジャックを裁く』・「第1の対話」のフランス語テクストはブースビーによりリッチフィールドで初めて公刊される。http://arts.guardian.co.uk/portrait/story/0,11109,744542,00.html

1791年にペネローピが5歳で亡くなると自身の詩集Sorrows. Sacred to the Memory of Penelopeで一人娘を哀惜、画家フュースリにThe Apotheosis of Penelope トーマス・バンクスにはMonument to Penelope Boothbyの制作を依頼する。

自然を愛したこの「ジェントルマン」の肖像 Sir Brook Boothby(1781 Joseph Wright of Derby画)はこちらに。

ロマン主義的な「無垢な子供」のイメージが形成されたのはまだまだ乳幼児死亡率の高い時代だった。"Long before she died, Penelope Boothby's parents looked at her living beauty with death in their eyes."(Anne Higonnet, Pictures of Innocence, Thames and Hudson )

ルイス・キャロルはペネローピに扮した少女の写真 Xie Kitchin as Penelope Boothby 1876を撮った。