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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

GOSICK -ゴシック- 第24話 『死神の肩越しに永遠をみる』

2011-07-02 13:26:40 | Weblog
言語道断なくらい最悪の最終回。
なんだ、これ? って感じ。
まさか、ここまでお仕着せの終わり方をするとはね。
がっかりなんてレベルではない。

23話についてのエントリーで同じことを書いたけど、
この物語を戦争ロマンもので集結させるという制作側の感覚は全く理解できない。
桜庭一樹はホントにこれが書きたかったのかね?

一応、以前から桜庭を読んできた経験からすると、
彼女がこういう安直な終わり方を求めていたとはさすがに思えない。

こんなお決まりのテンプレの、
それこそ「バッドエンドではない」ような終幕でいいのであれば、
『砂糖菓子の~』も『私の男』も・・・、書いてないだろう。

この物語の基本は、ビクトリカ+久城によるホームズとワトソンの再演。
そのようなミステリ的結構で一つ一つの物語を進めていく。
その過程で、灰色狼やらオカルト省やら、コルデリアやらの、
背景にある設定が、一種の謎として提示されていく。

つまり、エピソードレベルの話とシリーズ構成レベルの話が
少しずつ交わるような構成をとる。

そういう構成は別段に珍しいものではない。
むしろ、シリーズもののミステリとしては王道展開。

だから、終盤において、そういう大きな物語が浮上すること自体は全く気にならない。

問題は、それがいきなりの第二次大戦的戦争で良かったのか? ということ。

時代設定が1925年だから、その可能性はあるけれども、それはあくまでも匂いだと思っていたのだけどね。

今回の最終回、基本的には強引な説明シーンをつなげただけで、最後に復員する久城とビクトリカの再会で終わる。というか、物語的に意味があるのはそのシーンだけでしょ。

それを、あたかもマルチシナリオのゲームのバッドエンドやらグッドエンドやらで形容すること自体、おかしいと思う。必要なのはエンドだけなのか?と。

非常に意地悪く見れば、この、ほとんど描写らしい描写がなくただ説明だけで終わらせた構成は、要するに、その間に何があったか知りたかったら、原作の最終巻買って読んでね、と言ってるようにしか思えない。

いや、最初は、さすがにこの最終話は桜庭も望んでないだろうと思いたい。

戦争なんて設定を持ち出さずとも、ブロワ公爵や灰色狼、コルデリア等の背後にある物語を描くことはできたと思うけど。

何がおかしいかって、最後の二話については、ビクトリかも久城もただ戦争という時代の流れに翻弄されて、最後に出会うかどうか、だけのことしかしていないから。

はたして、それが中盤灰色狼話で浮上した、コルデリアによる「生きろ」という
言葉にかなったものだったのか、ということ。

二話使って決着がついたのは、ブロワ+コルデリア+ブライアン双子による前時代の私怨。
ここに、ビクトリカも久城も全く関わっていない。
もっといえば、アブリルやセシルなどの、学校のメンバーも。

当然、この後に2話ぐらい、彼らによる物語を置いて、終了させるのが筋でしょ。

そして、仮に戦火の中で引き裂かれたという話であったとしても、
欧州のどこかで、久城がビクトリカを「探し当てる」展開でないと、
それまでの構成が全く活かされていないことになる。

ただ、戦争という舞台が導入されれば、
普通に考えれば、留学生でしかない久城は帰国しないわけにはいかないし、
帰国すれば兵役に就くことは免れないのはほぼ確定路線。

だとすれば、久城がビクトリカを探し当てる、物語としてきちんと終幕させるには、
戦争を直接、この物語世界に導入するのは間違いだったことになる。

というか、原作執筆開始時点で、戦争オチになるのなら、
1925年という時代設定や、久城が留学生である、というような設定は
多分、採用しなかったんじゃないかな。

いずれにしても、この最終回は、ひどい。

原作の小説もこのような終わり方をするのならば最悪だ。

原作は、アニメとは異なるエンディングだったという、
むしろ、いい意味で角川商法的な、メディアミックス的終わり方となることに、
最後の望みを繋ぎたい。
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