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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

西尾維新 『囮物語』 感想

2011-07-03 09:14:07 | 西尾維新
うーん、これはどうかなぁ~。

『化物語』の第二シリーズ?については、『傾』『花』ときて、
この『囮』に至って、
どんどん物語としての素直な面白さが減ってきている。

特に、今回はひどい。

単に、千石好きでない限り読めない文章が200頁ほど続き、
最後の最後でオチもなく、次々回作に続く、という構成はねー。
これも、アニメ化が悪い方向に作用している気がする。
要するに、花澤萌えの要素だけで釣った作品。

それにしても、この第二シリーズは、全体を通じて、
西尾維新の悪い癖が出てきてしまった気がする。
つまり、『戯言』シリーズに対する『人間』シリーズのような、
「蛇足感」ばかりが目立つ。

西尾維新は、手なりに書いた第一作に対して、
それがうけてしまった場合の第二作については、
大抵の場合、ファンサービスが過剰になる。

つまり、ファンと同じ地平にたって、
最も出来のいい二次創作作品を作ってしまう。

最も出来のいい二次創作、というのは、
第一作で読者が示した人気の在り処や嗜好性を理解したうえで、
正直に、その人気の所在をトレースしてデフォルメしてしまう。

『戯言』で面白かったけどメイン人物になりきれなかった人物群=零崎に焦点を当て、
ついでに、メインキャラの若い頃の話を書いてしまったのが『人間』シリーズだけど、
これは、本質的に『戯言』シリーズの幕間の埋草のようなものばかりで、
どれも非常に退屈なものだった。

あるいは『きみぼく』シリーズも、
作品を重ねるごとに病院坂黒猫というキャラ「ばかり」に焦点があたり、
物語としては失速し、およそ読み物の体をなさないものばかりが書かれた。

実のところ、西尾維新は、この頃、つまり、前に書いたシリーズの続編・スピンオフにかかりきりの時は、もうどうしようもないくらいスランプに陥っていたのではないかと感じていた。どれもこれもつまらなかったから。

その中では、確かに『化物語』は、第一作としての面白さ、というか強度があった。

これは微妙なところだけど、『化物語』をアニメ化したのは、一方で多大な人気を獲得したところはよかったのだろうけど、他方で、どうしようもなくアニメ要素がその続編に混入するようになった。

で、今回の『囮』はその傾向が全開になった。

大きくは二つ。

●忍野扇による「ループ」的構造の示唆
●千石撫子の突如とした「ラスボス」化

どちらも昨今のアニメや漫画の有り様を「直に」受け止めている。

『化物語』をまずテキストで読んだ人であればわかると思うけど、この物語では、そういうアニメ/ラノベ的な定番の物語構造については、徹底してアイロニカルに批判的に関わっていた。
多分、『化』の面白さの一つは、阿良々木くんと八九寺によるメタ会話の部分だと思うけど、そこでは、ループやラスボスみたいな話はネタとして消化されていた。

で、第二シリーズは、そういうネタでいわば嘲笑の対象にしていた構造がベタに展開されようとしている。

第二シリーズになって八九寺の出番が極端に減ったのは、多分、彼女のアイロニカルな口調や発言が、この第二シリーズのベタな感じにそぐわないためだと思う。

『囮』はそれくらいベタな構成だ。

基本的には、千石の一人称、というか、独り語りで終始したのが『囮』で、正直、この独白はキツイ。千石が作中で言っているように、イタイものばかりがベタに続けられていて、どうなのだろう、実際の中学生とか高校生ぐらいにしか、この心情に直接シンクロすることなんてできないんじゃないかな。大学生や社会人で、この千石の語りに共感できてしまったら、それこそイタすぎるだろう。

多分、これは西尾が作家としてそろそろいい年になってきて、若者の感覚を感覚的に理解できなくなってきていることとも関わっていると思うのだけど。

裏返すと、ホント、千石好きか、千石の独白に素直に同調できないと、読み進めるのはとても難しい。

簡単に言うと、『化物語』の第二シリーズについては、第一シリーズの時と違って、面白いから誰かに勧める、という気にさせてくれない。それくらい、自己完結した世界になっている。

というか、ラスボス、ってなんだよ?
あと、これはGOSICKの最終回でも触れたけど、「バッドエンド」とか「グッドエンド」とかなんだよ?
どうして、何もかもゲーム的な表現で淡白にテンプレ的に語るようになるかな?
さすがに、それはファンに媚を売って、読者を忘れてないか?

千石のラスボス化なんて、ちっとも面白くないよ。

しかも、『囮』のあとがきにあったけど、次回の『鬼』で『猫白』で放りっぱなしにしていた学習塾炎上事件をやり、次次作の『恋』で今回持ち越しの「卒業式」事件を扱う。

もっとも、時間軸上では両者の後日談となる『花』で両方とも言及されていたから、当たり前だけど、阿良々木君もガハラさんも死なないことは示唆されている。

しかも、扇の存在は、これらの話がループ、ないし、別時間軸上の物語でありえる可能性を相当ほのめかしている。つまり、一種の平行世界としての物語の可能性はありえる。だいたい、『傾』で実際に、そのような世界の可能性を作中で実際に示したわけだし。

加えて、西尾維新自体、サードシーズンの執筆の可能性をほのめかすに至ってるし。
なんか、『化』もドル箱商法のサイクルに乗ったってことなのだろうな。

ということで、第二シリーズは、作中キャラを別時空で動かした、
一種の「祭り」的展開で終わらせることはあり得るし、
そう考えれば、千石のラスボス化にも納得が行く。

でも、それだけ。

ファンサービスが過ぎるようになる西尾維新って、
キャラ人気投票に沿って、キャラのサイドストーリーを書ききってしまう。

でも、それは、あくまでも幕間の話に過ぎなくて、本質的に物語を進めることはない。

『鬼』も『恋』も多分読むと思う。西尾維新も好きだし、『化』はアニメ化以前からすきだから。

でも、西尾維新には、作家としての可能性もきちんと追求して欲しいところ。

その意味では、新たなシリーズに繋がる第一作を手なりに書いて欲しいし、
そのような環境を周りは整えてあげて欲しい。

アニメのイメージに毒されていない、作家としての西尾維新をもう一度読みたい。
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