落合監督は今年の開幕前に行われた野村克也・元楽天監督との対談で、
マスメディアの記者に多くを語らない点について聞かれて、こう言っていた。
「記者が理解しようとしないから」。
これは違うのではないか、と即座に私は思った。
確かにプロの記者でありながら、ろくに勉強もしないで質問するというのは、
感心出来た話ではない。
しかし相手のレベルが低ければ、相手に分りやすいように易しく話して上げる
のがプロの作法ではないのか。
言うまでもなくプロ野球は興行である。
興行とはファンが見てくれなければ成り立たない商売である。
この商売において、買う側はファンであり、売る側は球団(選手・監督も含む)
である。
売る側が無愛想でいいわけがないだろう。
かつて長嶋茂雄はプロ野球についてこう言った。
「お客様にいい夢だけを売っていく」。
また王貞治はこう言っている。
「われわれはファンがいてこそ野球ができていることを忘れちゃいけない。
直接のファンサービスやメディアを通じてファンへメッセージを送ることも
監督の大きな仕事」。
私は以前から落合監督のファン及びマスメディアへの対応を無愛想すぎると
批判して来た。
そこにはプロ野球の本質である興行としての視点が欠落していたからである。
メディアとは文字通り当事者とファンを繋ぐ媒体なのである。
こう言うと必ず、落合監督は理解できる相手にはきちんと話している、
話さないのは相手の姿勢が問題だという反論がなされる。
しかし繰り返しになるが、そういう相手にもソフトに対応すべきだというのが
私の基本的考えである。
今年落合監督がこう言ったことがあった。
「(9回に浅尾が投げたことについて)みんな(記者)に言う必要はあるのか。
使い方まで説明しないとダメ?」
何も全て正直に言う必要はないのだ。
その辺は適当にあしらえばいいではないか。
嘘でもいいから適当に応対しておいて、その場を収める。
わざわざ好き好んで、場の雰囲気を悪くすることはないだろう。
一見無愛想に見えるヤクルトの小川監督や、ロッテの西村監督だって
別段、記者との間に問題はないと思われる。
私はこういう落合監督の”職人気質”の頑固な点を改めてもらいたいのだ。
落合監督はプロの厳しさを知り抜いている人である。
そこになぜ商売の厳しさを加えられないのか。
商売の世界では職人だって(ファンに)買ってもらう立場なのである。
最後に誤解のないように言っておくが、私は落合監督に続投して
もらいたかったし、彼の監督としての能力も十分に評価している。
しかしそれだけに、画竜点睛を欠く部分に不満が残るのだ。
マスメディアの記者に多くを語らない点について聞かれて、こう言っていた。
「記者が理解しようとしないから」。
これは違うのではないか、と即座に私は思った。
確かにプロの記者でありながら、ろくに勉強もしないで質問するというのは、
感心出来た話ではない。
しかし相手のレベルが低ければ、相手に分りやすいように易しく話して上げる
のがプロの作法ではないのか。
言うまでもなくプロ野球は興行である。
興行とはファンが見てくれなければ成り立たない商売である。
この商売において、買う側はファンであり、売る側は球団(選手・監督も含む)
である。
売る側が無愛想でいいわけがないだろう。
かつて長嶋茂雄はプロ野球についてこう言った。
「お客様にいい夢だけを売っていく」。
また王貞治はこう言っている。
「われわれはファンがいてこそ野球ができていることを忘れちゃいけない。
直接のファンサービスやメディアを通じてファンへメッセージを送ることも
監督の大きな仕事」。
私は以前から落合監督のファン及びマスメディアへの対応を無愛想すぎると
批判して来た。
そこにはプロ野球の本質である興行としての視点が欠落していたからである。
メディアとは文字通り当事者とファンを繋ぐ媒体なのである。
こう言うと必ず、落合監督は理解できる相手にはきちんと話している、
話さないのは相手の姿勢が問題だという反論がなされる。
しかし繰り返しになるが、そういう相手にもソフトに対応すべきだというのが
私の基本的考えである。
今年落合監督がこう言ったことがあった。
「(9回に浅尾が投げたことについて)みんな(記者)に言う必要はあるのか。
使い方まで説明しないとダメ?」
何も全て正直に言う必要はないのだ。
その辺は適当にあしらえばいいではないか。
嘘でもいいから適当に応対しておいて、その場を収める。
わざわざ好き好んで、場の雰囲気を悪くすることはないだろう。
一見無愛想に見えるヤクルトの小川監督や、ロッテの西村監督だって
別段、記者との間に問題はないと思われる。
私はこういう落合監督の”職人気質”の頑固な点を改めてもらいたいのだ。
落合監督はプロの厳しさを知り抜いている人である。
そこになぜ商売の厳しさを加えられないのか。
商売の世界では職人だって(ファンに)買ってもらう立場なのである。
最後に誤解のないように言っておくが、私は落合監督に続投して
もらいたかったし、彼の監督としての能力も十分に評価している。
しかしそれだけに、画竜点睛を欠く部分に不満が残るのだ。
コメントありがとうございます。
私の考えはブログに書いたように、プロ野球という興行においては職人も商売意識を持つべきというものです。職人気質の落合監督にはできないという言い方には、甘えが潜んでいるように思われるのです。
セリーグ制覇→日本一はまたもお預けで、いつの日に見られるのか…という感じですね。
選手はよく頑張ったと思いますが、ホークスが強すぎました。
ところで、落合「監督」も退任するということですから、
この件でコメントするのはこれで最後ということにして、
改めて管理人さんの考えを聞いてみたいと思います。
ざっと見たところ、応答はいまだいただけていないように思うのですが、
(http://blog.goo.ne.jp/blackpearl1988/e/d662d2686efe8ad36efc3ae4ee4eba92
すでに書いた、ということなら申し訳ありません)
ちょうど1年前に投稿したとおり、潜んでいるのは「甘え」ではなく「必然」のはずです。
「興行」が本質なら、八百長の否定ができなくなるわけですからね。
すでに疑義を呈してありますから、もう一度お考えになるべきです。
それとも、プロ野球は消滅すべきだ、とお考えですか。
なお、
>「(9回に浅尾が投げたことについて)みんな(記者)に言う必要はあるのか。
>使い方まで説明しないとダメ?」
という対応について、
>嘘でもいいから適当に応対しておいて、その場を収める。
というのは、例えばどういう応答を想定しているのか理解に苦しみますが…。
何も喋らなければ文句を言われる。
かといって、義務として言えないことだと言えば文句を言われる。
で、挙げ句にウソをつけ、とおっしゃるわけですが、いったいどういうウソを言えばいいとお考えですか。
変なウソをつけば、岩瀬投手という存在を軽んじたという可能性すら出てくるデリケートな状況なのですが…。
ダンマリではダメだ、というならまあ百歩譲って分からないでもないですが、
(それが監督の「勝つための」判断である以上私はダメだとは全く思いませんが)
「しゃべれません」というのがダメだというのはさすがに厳しすぎます。
もちろん、落合監督の考え一般が社会的に望ましいかは留保の余地もありますけれども、
(たとえば、金村選手の一件などは、監督の反社会性が如実にでたと評価可能でしょう)
とりあえずは「監督」への不満とは無関係ですね。
また、
>相手のレベルが低ければ、相手に分りやすいように易しく話して上げる
>のがプロの作法
というのも、素直に首肯できません。
報道する側も報道のプロですから、管理人さんの理屈にのっとれば、分からないなら分かるよう勉強するのが本義といえるでのはないですか。
もちろん、ファンあってのプロ野球ですが、それの意味するところは、「プロ野球あってのファン」の裏返しにすぎませんよ。
(ファンが金を出さないとプロ野球が立ちゆかないのと同様、プロ野球がなければファンは金を出すことすらできませんからね。)
売り手が買い手に依存しているのと同様、買い手も売り手に依存してますから、買い手が一方的に偉いわけではありません。
そういうわけで、この点についてこれ以上私からお聞きすることはありません。
ご意見を示されることを期待します。
あなたの粘着的物言いは、私の手に余るのでごく簡単に書きます。
(申し訳ないですが、1年前のあなたの長文コメントは読む気力がありません)
あなたは「ファンが金を出さないとプロ野球が立ちゆかないのと同様、プロ野球がなければファンは金を出すことすらできませんからね」と言いますが、私にはこの後半の部分が分らない。
そもそもプロ野球が存在しなければ、プロ野球ファンそのものが存在しえない。
従ってあなたの「ファンあってのプロ野球ですが、それの意味するところは、『プロ野球あってのファン』の裏返しにすぎませんよ。」という言い方は成立しない。
両者は対称的な関係にはないはずだ。
またプロ野球においては、プロ関係者にとっては野球は職業だが、ファンにとっては野球は娯楽の一つに過ぎず職業ではない。
従って、買い手(ファン)と売り手(プロ野球関係者)とは対称的な関係にない。
監督と報道関係者との関係についても同様であり、両者はプロとアマの関係にあり、監督は教える(説明する)立場にあり、報道関係者は教わる立場である。
ここにも対等な関係は存在しない。
私は以上のように考えます。