今日のブログの内容は実は昨日のブログと殆ど変わらない。
同じことを繰り返したくなるまでに私は、今の東京の風潮に違和感を抱いて
いるのだ。
実は昨日私は、スーパーで売り切れだった物を求めてコンビニにも足を
運んだ。
そして牛乳を買うことが出来た。
しかしどこか不思議だった。
他の飲料を含めて殆ど売り切れだったのに、その牛乳だけはかなり
残っていた。
そして答えは帰宅後明らかになった。
帰宅後その牛乳の表示を見たら、生産地が栃木県だった。
そこで私はネットで調べてみた。
栃木産の牛乳は放射性物質(ヨウ素)は若干(凡そ45ベクレル/リットル位)
検出されたようだが、規制値(300ベクレル/リットル)には程遠く
出荷停止にもなってはいないレベルだ。
しかし大量に売れ残っている現実。
私が買ったのは単に生産地に無神経(確認もしない)だったからに過ぎない。
むしろ私の関心は、久しぶり(2週間ぶり)に牛乳を買えたことにあった。
だが出荷停止にはならないものの放射性物質が少量検出
されただけでも買い控えるという行動は、私にも分らなくもない。
少しでも危険なものは避けるという判断を否定することは、誰にも出来ない
だろう。
でも私は自分なりに調べた上で、その牛乳を飲んだ。
大丈夫だと判断したからだ。
原発のようなデータの隠蔽疑惑はないと思ったこともある。
実を言うと、先日の水道水問題にせよ農産物の問題にせよ、最近消費者が
神経質になりすぎているという懸念が私にはあった。
元々私には、世に蔓延している潔癖主義(無菌主義)に対して違和感が
あった。
それはその種の潔癖主義が、人間は本来雑菌にまみれた存在だということを
忘れた錯覚・無知によるものだという気持ちがあるからだ。
また、潔癖主義に潜む「異物を排除しようとする思考」に私が強い抵抗感を
抱いていることも影響していると思う。
少量でも放射性物質が検出された牛乳はまだしも、昨日のブログで取り上げた
コメは収穫時期(昨年秋だろう)を考えれば放射性物質が含まれるはずは
ない(保管状況は知らないが)。
従って、消費者が忌避する理由は「茨城産」ということだけと思われるから、
その余りの無知・無分別には少々絶望的な気持ちになってしまう。
同じことを繰り返したくなるまでに私は、今の東京の風潮に違和感を抱いて
いるのだ。
実は昨日私は、スーパーで売り切れだった物を求めてコンビニにも足を
運んだ。
そして牛乳を買うことが出来た。
しかしどこか不思議だった。
他の飲料を含めて殆ど売り切れだったのに、その牛乳だけはかなり
残っていた。
そして答えは帰宅後明らかになった。
帰宅後その牛乳の表示を見たら、生産地が栃木県だった。
そこで私はネットで調べてみた。
栃木産の牛乳は放射性物質(ヨウ素)は若干(凡そ45ベクレル/リットル位)
検出されたようだが、規制値(300ベクレル/リットル)には程遠く
出荷停止にもなってはいないレベルだ。
しかし大量に売れ残っている現実。
私が買ったのは単に生産地に無神経(確認もしない)だったからに過ぎない。
むしろ私の関心は、久しぶり(2週間ぶり)に牛乳を買えたことにあった。
だが出荷停止にはならないものの放射性物質が少量検出
されただけでも買い控えるという行動は、私にも分らなくもない。
少しでも危険なものは避けるという判断を否定することは、誰にも出来ない
だろう。
でも私は自分なりに調べた上で、その牛乳を飲んだ。
大丈夫だと判断したからだ。
原発のようなデータの隠蔽疑惑はないと思ったこともある。
実を言うと、先日の水道水問題にせよ農産物の問題にせよ、最近消費者が
神経質になりすぎているという懸念が私にはあった。
元々私には、世に蔓延している潔癖主義(無菌主義)に対して違和感が
あった。
それはその種の潔癖主義が、人間は本来雑菌にまみれた存在だということを
忘れた錯覚・無知によるものだという気持ちがあるからだ。
また、潔癖主義に潜む「異物を排除しようとする思考」に私が強い抵抗感を
抱いていることも影響していると思う。
少量でも放射性物質が検出された牛乳はまだしも、昨日のブログで取り上げた
コメは収穫時期(昨年秋だろう)を考えれば放射性物質が含まれるはずは
ない(保管状況は知らないが)。
従って、消費者が忌避する理由は「茨城産」ということだけと思われるから、
その余りの無知・無分別には少々絶望的な気持ちになってしまう。