パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

モーツァルトの偉大さ(ある本からの引用)

2017年12月16日 14時58分14秒 | 音楽

最近手にした「クラシック音楽とは何か」岡田暁生著のなかに偉大な作曲家として別格な3人が紹介されていた
その3人とはバッハ・ベートーヴェン・モーツァルトだが、この中のモーツァルトに ついて書かれた部分がとてもおもしろい

抜き出すと、

モーツアルト。一体彼のどこがそんなに偉大なのかを理解するのは意外に難しい。端的に言ってその理由は、モーツアルトがまさに偉大ということと真逆な方向の表現を目指し、そういう偉大ならざる領域においてこそ、音楽史に比類のない美を達成した点にある。そもそも人が「偉大」という言葉を口にする時、どのようなものを連想するか。偉大なカリスマ性、つまり指導力や行動力。深い苦悩と高き理念(神の希求といったものも、これに含まれよう)これらは文句なしに「偉大」のレッテルにふさわしい。だがこれらの真面目な主題に対して、例えばベートーヴェンと違ってモーツアルトはほとんど関心を示さなかった。

モーツアルトの腕が俄然冴え渡り始めるのは、一体どういう表現においてかはオペラをみるとよくわかる。「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」や「コジ・ファン・トゥッテ」や「魔笛」——これらはすべて喜劇オペラだ。端的に言ってモーツアルトはお笑いの人である。これらのオペラの登場人物に聖人君子はほとんどと言っていいほどいない。みんな「エッチ」なことが大好きで、バカばかりしている。彼女がほしいとため息をつき、浮気をするふりをして初心な彼氏をからかい、別人に化けて狙いを定めた女性を口説きーモーツァルトのオペラの主人公たちはこんなバカばかりしているのだ。そんな下世話な場面に、まるで神様が降りてきたような難しい音楽を書いたという逆説にこそモーツァルトの偉大さはある。そして誰もおおっぴらに口に出さないがいわゆる「下ネタ」こそ、人間が人間である限り不変の関心事でとするならば、モーツァルトこそ人間が人間である限り、誰でもそこに何かを見いだす、そんな音楽を書いた人であった。

これらの解説は多分モーツァルト好きな人間はおおいに納得する
なにも大げさなことを振りかざすわけでもない、ただ普通の人間がフト感じてしまう感情の変化を、本当に必要最低限で
とても効率的にさらっと表現してしまう。そしてそこには感情の変化の機微だけでなく、その瞬間だけの「美しさ」が存在する。
そして明るさの中にある寂しさも、気づく人にしか感じられないような表現の仕方で盛り込まれている。

昔からモーツァルトの音楽は子どものおしゃべりみたいな気がしていた
何を話しているか分からなくても、とても幸せな気分にしてくれる「ハッピーボイス」
バッハでさえ周囲にはきっとモーツァルトの音楽を欲している。 そんな風に勝手に思い込んでいる
バッハやベートーヴェンは偉大だ、それは納得する
でも自分の周りにはモーツァルト音楽が欲しい
本当に最近まずますモーツァルトに惹かれてしまう
そしてこの音楽は聞き流しても、真面目に聴いてもそれなりの楽しみを与えてくれる
モーツァルト、、、ホント、好きだな、、
 

 

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