パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

10年前の今日(ベートーヴェンとモーツァルトのお墓参りに出かけていた)

2023年06月18日 09時03分59秒 | 旅・旅行

10年前の今日の出来事を書いたブログの再投稿

そもそも何十年ぶりの海外旅行は、昔放浪したドイツ・オーストリアを
再度訪れてそこで何を感じるか確かめるために出かけたもので
ハイデルベルクのフルトヴェングラーのお墓
ブルックナーがオルガニストを務めた聖フローリアン修道院
ウィーンのベートーヴェンのお墓、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークに
展示されているゴッホのひまわりを再び見た時、心のなかに起こる
何かを確認するためのものだった

FBではおせっかいに10年前の記録を教えてくれて
そこでハタと気づいたので、もう一度振り返ってみることにする

以下が10年前の内容

6月18日 ウィーンでのこの日はまるでお墓参りの一日

ベートーヴェンの眠っているウィーンの中央墓地へは
U3で終点のSimmeringまで行って、そこで71番の路面電車に乗り換え
ZentralfriedhofのZweite Torで下車

門をくぐると案内がある

ところがどこがベートーヴェンのお墓か分からない

結局のところ大通りを真っ直ぐ200メートル歩けば
左手にmusikerという看板が出ていて容易に見つかるのだけれど
正直なところ、ちょっと苦労した

ベートーヴェンのお墓

いろんな印刷物で見られるおなじみのもの

37年前ここに来た時は本当に感動した
それは自分がベートーヴェンの心酔者だったためではない

彼の音楽が「見えないけれども確かにあるもの」
を自分に提示し
それがその後の自分の人生にとっても
重大な位置を占めるようになったのだが
とにかくそのキッカケをつくった人の眠るところ
37年前もそのキッカケがなければここには来なかった
そんな意味でやたらと感動した

今回はもう少し冷静に眺められた
そして静かに手を合わせた

彼の周りには、シューベルトの墓石

ブラームスの墓石


ベートーヴェンの脇を固めるように囲っている

彼らも自分のレベルとは随分違うがベートーヴェンがいなかったら
違った人生を送っていただろう
尊敬、畏敬の対象として近くに居たかった気持ちはわからないでもない

その後、次はモーツアルトの眠る聖マルクス墓地へ
来た路線を引き返し、途中で別のトラムに乗り換え、St.Marxで下車
5.6分歩くと入り口に

そまま緩やかな坂道を登って行くと左手にあった


かわいそうなモーツァルト
現在の名声とは全く反対の、信じられないような無関心に満ちた葬られ方
それはまるで意地悪な神様が、音楽史上最大の天才の秘密は明らかにしない
という意図があるかのよう

それにしても、今を生きている人間にとっては
モーツァルトを利用した?経済的な活動がもっとも大事なことのようで、
おみやげ屋、コンサート会場などのモーツァルトの扱いは
どこかしら音楽とは関係ないところで
動いてしまっている気がしないでもない

フルトヴェングラーのお墓、ブルックナーの眠る聖フローリアン修道院、ベートーヴェンのお墓、
そしてモーツァルトのお墓をめぐる、まるでお墓参りのような今回の旅
それは信心からではない

むしろこの何十年での自分の変化を確認するための旅
「見えないけれども確かにあるものがある」
と考えがちの自分の今の位置の再確認の旅

この意味では観光地を積極的に無駄なく訪れるというものではなかった
確かに帰ってからは、あそこに行っておけば良かった
と思わないこともない
だが、人はあれもこれも望むことは出来ない
自分は自分らしい選択をしたこの旅を、
久しぶりに自分自身に戻ることが出来た旅として
そしてまるで夢の中のような出来事として記憶に留めることだろう




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