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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

実感との違いを客観的に否定されると、、、

2025年07月22日 08時48分42秒 | あれこれ考えること

「体感治安」という言葉がある
これは過度な外国人の増加で犯罪が多くなっていると感じている人たちの治安への不安感のこと
身近でそうした犯罪があったり、そのようなニュースが重なって、やはりそうなのだ!
と感じたりすることで、実際の客観的な犯罪統計データとは違う個人独自の治安状況を
確信しているメンタリティのこと

実際のデータはそうでないことを示していても(公的なデータはそれを示しているが)
現実は個人の実感に基づく考えを変えるのは難しい
ひとつは客観的な事実基づく考え方(自身を疑う考え方)に慣れていないこと
次にそのデータ自体をなにか意図があって改ざんされているとか
切り取られたデータと信じ込んでしまうとか、、、
つまりは、自身の感覚は非常に生々しいので、その感覚と違うものは受け入れ難い

もしかしたら自分は間違っているかもしれない
と考えるのは、とても大事な技術的な方法論と思われるが、これはなかなか難しい
だから教育課程の早いうちにそうした考え方になれるようにしたほうが良いだろう

対話と討論とは違うとされている
対話はもしかしたら、自分の考え方や説は相手の理屈で否定されるかしれない
との態度で向かい、実際にそれが適切であるなら、自分の考えを否定することもある
しかし、討論というのは「論破」の言葉で代表されるように、負けたら即終わりの印象をもつ

世の中の多くの出来事は、多分、一方が絶対的に正しいということはない
視点を変えれば、相反する考え方が生まれる
だから、少なくとも相手の言わんとすることを読み解く事が必要だ
そしてそれは訓練によって培われるのではないだろうか

豊橋の住民投票は計画継続派が勝利をおさめて、市長も住民投票の結果を重んじて
意思に反して新アリーナ計画を進める考えを表明した
こうして白黒の決着が出ることは、負けたほうはなかなか精神的なコントロールが難しい
なにか理由を見つけて、愚痴りたい気持ちは痛いほどわかる

でも住民投票は負けるかもしれない!のは今回に限らず、
前に二回署名活動をして住民投票を求めたときも同じことだ
仮にもっと前の段階で市議会で賛成多数で住民投票が行われることになって
それが今回と同じ結果がでたら、人はそれを受け入れることができただろうか

ひとはどこかで腹をくくって、覚悟を決めないといけないと思う
良い悪いではなく、物事のどちらかを選択をする場合は特にそうだ

それにしても感情と理性が喧嘩をしたら、勝つのはいつも感情という現実がある
負けることへの慣れではなく、負けてからの心のコントロールの仕方は
人それぞれだろうが、これはその人の生き方とか性格までになっていく
(自分を鍛えなきゃ!)

でも、正直なところ、難しそうだな、、



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