パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ボランティア頼みでは済まされない

2019年09月27日 08時45分02秒 | あれこれ考えること

東京オリンピックにはボランティアが不可欠なようだが
ボランティア依存が高すぎるのではないかとか
いくらなんでもボランティアの方々への対応が
関係者の厚遇に比べてひどいのではないのかとの声があがっている
これは我が市とは遠く離れた東京の出来事で
申し訳ないが切実感をもって感じるまでは至っていない

ところがいくらなんでもボランティア依存で済まされることではないだろう
と思われることが、我市でも存在する
一年ほど前から知人に誘われて、外国出身の小学生の勉強の面倒を見ている
火曜日は1.2年生、木曜日は3.4.5.6年で新城小の入り口の小さな建物の中で行っている
(子どもたちの勉強を見るのは数人のボランティア)
日本の全体的な傾向通り、子どもたちの構成はブラジル人が多い
ネパールからの子もいるが現在のところほとんどが南米系の子たちだ

手伝いをして驚きを覚えるのが、そしてふつふつと怒りを覚えるのは
子どもたちの現在の日本語能力に関する未熟さと、それに対する大人たち(行政)の無関心さだ

残念ながら子どもたちの日本語能力は全体的に高くない
確かに個人差はあるが、よくデキる子のほうが例外で大半の子どもは
漢字も熟語も助数詞も発音(小さな「つ」の文字が入る場合とか)も
すんなりできてはいない
特に低学年の子の中には普段の会話にも手こずりそうな子がいる
彼は今年の七夕の短冊に「もと にほんごが じょうずにになりたい」と書いた
彼は会うたびに「今日、僕教えて」と声をかけてくる
その表情はに、弱いものを守らねば、、との気にさせられる
自分は一緒に書いた七夕の短冊には「ちびさんが おりこうさんに なりますように」と書いた
でもそれが子どもというものだろうが、本番の勉強の時間になるとは集中できず隣のこと無駄話をしてしまう

全体的に落ち着きのない勉強風景となるが、その原因は彼らの性格にあるのか?
と考えると、少し違うのではないかとの考えが浮かぶ
彼らは「よくわからないことを、わからないまま、強いられている」のではないのか
そんな気がしている
しっかり勉強しなければいけないと言われても、自分たちが何をしているのかわからない
そんな状態で無理やり勉強をしているのではないのか、、と
もしそうだったら、、、辛いだろうな、、と思う

彼らが宿題と称して漢字の書き取りをすることがある
マス目には漢字、熟語が書かれており、埋まったページは赤い丸の評価がなされている
その丸のページと同じものを次のページに書くのだが、これが驚く
2字熟語を書く場合、右に読み仮名を入れるのだが、子どもはまず一文字書いて読み仮名を書いて
また一文字書いて、読み仮名を書く(熟語として認識していない、、ただの文字の羅列としかみていないようだ)
もっとひどい場合は、文字を縦に書くのではなく、右から左へ文字を埋めていったこともあった
時々、書かれている熟語の意味わかる?と聞いてみると、返ってくるのは「わからない」のことば
丸の評価はされていても彼らは何もわかっていない
自分たちは機械的にページを埋めたり計算しているだけ、、、
それを楽しいと思えることは、絶対にないと思われる

このように勉強を手伝ってみると、この子たちの将来がとても心配になる
と同時に彼らを取り巻く環境が如何に非人間的なものとなっているのかと怒りを覚える
そして現在ボランティアで賄っているこの勉強の手伝いが、無いよりはましというものの
果たして間に合うのだろうか、、と、とても不安になる

ボランティアの方々は、手伝いをすればするほど同じ様な考えに至る
それは先生方は、もう少し彼らのことをよく見て欲しい、、ということだ
彼らを一人の人間としてとらえて、ルーティンワークで済まさないで欲しい
先生方が仮に忙しすぎて目が届かないのなら、それに代わる別の人を用意するべきではないのか
一応、市はそのような対策をとっているようだ
しかしその人は一人、しかも週に数回?
正直なところこれじゃ絶対足りない

このような手伝いのできる人(資格を持った)を用意するのにはお金がかかる
でも、それはかけるべきだと思う
それが市の将来のビジョンであったり、市の品格というものだ
少なくとも利用者が一便あたり7人で推移している新東名経由の高速バスに毎年3600万円を費やすなら
そんなものはすぐさま止めて、この子たちの未来に費やすべきだと思う

社会にひずみは弱いところに現れる
政治家や行政はいろいろ理屈を述べて対策を先延ばしにしていく(現状把握も充分にせずに)
でも先延ばしにされている間に子どもたちは大きくなっていく
果たして間に合うか、、、
彼らはこの国で、この町で暮らして「幸せ」と言えるか、、とても不安になる


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