パンセ(みたいなものを目指して)

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全体主義の兆候かもしれない出来事

2019年05月24日 09時00分23秒 | あれこれ考えること

小難しい本は何度も読み返さないと理解出来ないが
読み返すと同様に必要なのは時間の経過と感じることがある
時間が経過することによって混乱した頭の中が少しづつ整理されて
肝心なところの理解がぼんやりと全体像を伴って理解できたような気になれる
(しかし情けないことに、自分の能力では随分低いところにその限界がある)

最近の世の中の出来ごとが気になって、以前読んだ「全体主義の起源」3を紐解こうとした
全部で3冊の「全体主義の起源」うちの最後の「全体主義の起源」3は
全体主義が具体的にどのように形成されていったか
社会の変化、人の心理的な部分、それを可能にした組織、そして運動について
実に詳細な資料を元に記されている

と言ってもあの長い難解な文章を読むのはしんどいので便利な解説本
(精読 アレント「全体主義の起源」牧野雅彦)を読んでみた
これがなかなか現在の日本の状況を連想させる部分があってなかなか興味深い
例えば、こんな文章が目についた

ここから容易に思い浮かべることができるのが厚労省の統計不正の出来事
どの国も、どの時代も少なからずやっていいることと呑気に構えるのは
少々お気楽すぎて、これらは兆候のひとつとして見ると、少しばかり不安となる

ところで、この画像の前のページに、これまた気になる引用があった

「途方もなく恐ろしい出来事に直面して彼らは自分の目や耳を信じることを拒否する。
ちょうど大衆が正常なリアリティに直面して自分の目や耳を信じないように。
なぜなら正常な世界には彼らの居場所は残されていないからである。
全体主義が虚構の世界、逆立ちした世界を実現するまで行くつくことができた理由は
外部の非全体主義の世界が(中略)希望的観測に耽ったり、本物の恐怖に直面して
リアリティから逃避するからである」

つまるところ、そんなことはありえないと現実に起きていることを直視したがらない
メンタリティが、危険な結果を招く可能性があるということ
「日本人がそんなことをするはずはないと直感で感じました」と述べたある右の女性の方が
いたが、これなどは典型的なパターン

現実を直視する、悲観的視野からも楽観的視野からも、自分たちの言い分も相手側の言い分も
それらをひっくるめて理解しようとしないと、戦後という言葉がそのうちに無くなってしまうことに
ならないか、少し心配



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