彼らは何故あのような判断をしたのだろうか?
とずっと思っていた(養鶏所の裁判の時)
裁判官という人たちは、事実認定の正確さとか法的な解釈の違い以上に
普通の人が感じる感覚とは異なった考え方をするのではないか?
とさえ思ったことがある
だからこの本をアマゾンで紹介された時、すぐに購入を決めた
「絶望の裁判所」に続いて瀬木比呂志さんの本だ
勢い込んで買ったものの、読み始めると素人には少し難しい
法的な手続きとか法律用語が登場するので半分以上は頭をかすめて通過していった
だが裁判官という人びとの持ちやすい感覚とか雰囲気だけはわかった
なるほど彼らも特別な人間ではなく、普通の人間だということ
特別なのは知識量が多いということで、感じることはそれほと大差ないことは
なんとなくわかった
例えば原告の訴えるトーンがきつかったり、自分勝手と思われることには
心象が良くないとか、、そうした傾向は納得できた
ただし、自分たちの場合はどうだったのかは、どうしても不満が優先して
彼らはちゃんと捌いてくれたのかとの思いは拭い然ることはできない
なるほど言葉の上で勝負するには、裁判官に対する方法論とか手段は存在する
という当たり前の事実は確認できた
ある時、こちらが不満の表情とか態度を見せた時、彼らはそれを訴える側の
当然の権利と受け止めたのか、それとも人間として少しばかりカチンときたのかは
微妙なものだな、、と今にして思う
それにしても相変わらず不満を覚えるのは、裁判官という人々が
上手くいかないことの多い実社会の経験が少ない人が多いという点
瀬木さんも裁判官を育成するシステムと選ぶ方法について
民間の感覚を活かすべく提案しているが、ホントそうあってほしいと思う